
米空母に乗艦しご満悦の高市首相だったが、トランプから梯子を外された格好だ。=10月29日、横須賀 官邸HPより=
去年秋、自民党総裁選挙が告示される直前、永田町を仕事場にしている友人から電話があった。「高市さんは難しいよ。極右だからね。中国との外交が立ち行かなくなるよ」と。
幸い石破茂氏が総裁となり、友人の不安は杞憂となった。だが1年後、高市氏は総理となった。
国会で首班指名を受けたのが10月21日。1ヵ月と経たぬうちに対中国関係は極めて険悪になってしまった。友人の予言は的中したのである。
中国は激しい言葉で反発を強めており、経済制裁を発動するありさまだ。
日本の観光・小売業などにすでに支障が出ている。この先、製造業などにも影響が出るものと見られる。「高市不況」さえ招きかねない状況だ。
それでも高市首相は中国の逆鱗に触れた前言を撤回しない。極右の本領なのである。

PORTRAIT OF P.M. ARIEL SHARON.
פורטרט, ראש הממשלה אריאל שרון.
戦後生まれの日本人はネトウヨと街宣右翼しか馴染みがないので、極右の怖さを知らない。少なくとも身をもっては知るまい。
第15代イスラエル首相アリエル・シャロンー
世界を震撼させたレバノンのパレスチナ難民キャンプ虐殺事件(1982年)の際、国防大臣だった人物だ。
虐殺の手を直接下したのはレバノンのキリスト教民兵だが、イスラエル軍が難民キャンプを包囲するなかで決行された。国防大臣だったシャロン自身も責任を認めている。

イスラム教徒の聖地アルアクサの丘。2000年9月、シャロンはここに足を踏み入れた。警察権はイスラエルが持つ。=2022年12月、東エルサレム 撮影:田中龍作=
シャロンの蛮行はパレスチナ和平を崩壊に導いた。それは今に至る。
2000年9月、シャロンはイスラム教徒の聖地、アルアクサの丘(ユダヤ教徒にとっては神殿の丘)を突如訪問したのである。
他人の家に下足で踏み込んだに等しい。イスラム教徒は激怒し第2次インティファーダ(蜂起)が発生した。
パレスチナ側は公共輸送機関やレストランに自爆テロをかけ、イスラエル側は武力攻撃で応じた。血で血を洗う事態となった。
シャロンは、しかし、国民の反パレスチナ感情をバネにリクード党首から首相にのし上がった。
自爆テロを防ぐためと称してシャロン政権は、パレスチナ人居住区とユダヤ人居住区との間の分離壁建設を本格推進した。イスラエルは自衛を主張するが、本音は違った。
イスラエルの真の狙いは分離壁でパレスチナの民を囲い込んでおいて殺す、だ。着工すると田中はすぐにイスラエル・パレスチナに飛んだ。

パレスチナ住民はイスラエルが勝手に設けた壁に囲い込まれて20年以上が過ぎた。=2022年12月、西岸 撮影:田中龍作=
さらなる悲劇の始まりだった。ガザで猛威を振るうジェノサイドの出発点と言ってよい。
極右は地域の人々の安穏な生活を破壊する。歴史にifはないが、シャロンがいなければ、パレスチナ和平は今と違ったものになったはずだ。
大虐殺は伴わないが、日本の極右首相は国民を路頭に迷わしかねない。
~終わり~
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