
玉木雄一郎・国民民主党代表。首班指名選挙で同党の議員には「玉木雄一郎」と書かせるのに、他野党が「玉木」と書くことを拒否した。=7日、衆院会館 撮影:田中龍作=
大揺れの首班指名をめぐって、拙Xに「玉木から蹴られたのであれば、野党は石破を担げばよい」と投稿したところ、読者諸氏から熱いリプを頂いた。
驚いたのは野党の国会議員からのリツイートがあったことだ。奇策は、田中のような在野の人間からではなく政界から飛び出してきてほしかった。
下野していた自民党が政権を取り戻したい一心で、村山富市社会党委員長を担いで首班指名に臨んだことを思い出す。1994年のことだ。
村山氏側近によれば、奇策を仕掛けてきたのは自民党で、野中広務、梶山静六(両者とも後に官房長官)が中心だった。亀井静香(後に運輸相)の顔もあった。名だたる荒業師、寝業師たちである。

安保法制反対集会に登壇した村山元首相。「自衛隊合憲」と引き換えに村山談話を。=2015年、国会正門前 撮影:田中龍作ジャーナル取材班・島崎ろでぃ=
当時、自民党と社会党は水と油の関係で激しく対立していた(裏では気脈を通じていたが)。
最大の対立点は安全保障政策だったが、克服した。社会党は自衛隊を合憲とし、自民党は村山談話の発出を認めたのである。
アジア諸国に対する侵略と植民地支配を認めて謝罪する…自民党にとっては屈辱だ。自衛隊の合憲も社会党にとっては背骨を砕かれるようなものだ。
1994年6月30日、衆院本会議での首班指名選挙で、自民党、社会党、さきがけの推す村山富市が、新生党や公明党の推す海部俊樹を破って、第81代内閣総理大臣に指名された。
村山富市が純潔を貫いて「自衛隊合憲」に反対していたら、アジアの国々に高く評価される村山談話はなかったのである。

安住淳・立憲幹事長。野党第一党の幹事長として意地を見せた。=9月11日、立憲本部 撮影:田中龍作=
来週にも臨時国会が召集され、冒頭、首班指名選挙が行われる。立憲の安住幹事長は野党各党に民民代表の玉木雄一郎への投票一本化を呼び掛けた。だが時事通信によると玉木は拒否した。
公明が自民との連立政権から離脱する可能性があり、野党が政権を奪取できる千載一遇のチャンスである。
しかも首相に担ぐとまで言われているのに、玉木は乗ってこなかった。この国を破局に導く壺議員と裏金議員を復権させた高市早苗の総理就任を阻止できる環境が整っていたのに、玉木はそれをフイにしたのである。政治家の度量と覚悟に欠けると言わざるを得ない。
~終わり~
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