
無所属で当選した山本の初登院。ボランティアたちの血が滲むような活動が報われた日だった。=2013年、国会議事堂前 撮影:取材班=
話は山本太郎の国会デビュー前にさかのぼる。
2012年12月。山本は同月16日公示の衆院選挙に向けて準備を進めていた。知名度はあっても初挑戦である。山本は無所属で出馬するという。誰もが当選を危ぶんだ。
大政党から立候補すれば、悪くても比例復活で当選できる。田中は山本に進言した。「国会に脱原発勢力を一人でも増やすことだ。大政党から出た方がいい」と。
山本は「大政党からの誘いはある」としたうえで「でもそれじゃダメなんです」と譲らなかった。
原発に異論を唱えたため仕事を干された山本にとって、脱原発はどうしても譲れない一線だった。確かに大政党で脱原発を貫くのは困難である。
あの時、山本が大政党の誘いに乗って出馬していたら、当選はしただろう。
だが、大政党は自民党補完勢力であったり、裏で自民党と結託していたりする。脱原発は貫けなかっただろうし、消費税廃止を言い続けることも不可能だっただろう。
山本は国会デビュー前から今日に至るまで一ミリたりともブレていないのである。

絶頂期の玉木。誰が今日の転落を予想しただろうか。=5月5日、都内での街宣 撮影:田中龍作=
~チャンスを与えた山本、チャンスを奪った玉木~
山本は2021年の衆院選で「人間失敗はある」「誰だって失敗はある」と言って高井たかし氏を公認した。高井氏はコロナ禍の中、新宿歌舞伎町の風俗店に行ったことが発覚し、所属していた立憲を離党していた。
落選を経て国会議員に返り咲いた高井氏が、れいわ幹事長として大車輪の活躍をしていることは論をまたない。
そして今回は、秘書給与詐取で服役経験のある山本ジョージ氏を東京選挙区に擁立する。
国民民主党代表の玉木雄一郎はどうだろう。
5~6年も前のことだが、玉木記者会見でハブとマングースに喩えられるほど険悪な関係のジャーナリスト2人が、大喧嘩をした。見ているこちらが怖くなるほどの場外乱闘だった。
玉木は2人を上手に諫めた。「サチオの言い分も分かるけど、カズコの言ってることもよく分かる」…まるで学級担任のようであった。
エリート特有の鼻もちならなさは欠片もない。政界の御意見番亀井静香元運輸大臣が「右大臣・玉木雄一郎、左大臣・山本太郎でいいんじゃないの」と評価するだけのことはあった。
玉木はその後、小さな躓きを経ながらも政界の階段を駆け上っていった。「次期総理」の呼び声さえ上がったほどだ。
ところが好事魔多し。「山尾公認」で玉木は足を踏み外し、階段を転がり落ちてしまった。
党内外やSNSの批判を浴びることは分かっていながらも、山尾志桜里の公認を内定した。だが予想以上に大炎上し党の支持率が下がると、公認内定を取り消した。山尾の政治生命を絶ったのである。

舩後靖彦さんは堂々と赤じゅうたんに乗り込んで行った。=2019年、国会議事堂 撮影:田中龍作=
17日、れいわ所属参院議員でALS患者の舩後靖彦が次期選挙には出馬しないことを、記者会見の場で明らかにした。
同席していた山本は「この6年間、れいわ新選組にそして山本太郎に命を預けて下さったことに感謝したいと思います」と言って、深々と頭を下げた。
山本は当事者が脱落しても大きな障害を抱えていても第一線に復帰するチャンスを与える。
都合が悪くなると斬り捨てる玉木は、命を預けるに値する将だろうか。《文中敬称略》
~終わり~
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