北風にさらされながら街頭演説に耳を傾けていると体は芯から冷える。演説の締め括りに、小川は聴衆をねぎらうように言う。「お帰りになったら温かい風呂に浸かって体を温めて頂いて風邪などひかぬように」と。
小川らしい気配りだ。人気を博するゆえんでもある。田中は小川を評価しこそすれ貶すつもりはない。
ただ、山本太郎だったら、こんなことは口が裂けても言わない。貧困層が風呂など満足に入れないことを知っているからだ。
「風呂は3日に1回。それもシャワー」。生活保護裁判で高齢者が話していたのを思い出す。住まいのない人々はネカフェのシャワーだ。
かくいう田中家も、湯沸かし器が老朽化していて高温のお湯を出せない。浴びるのは熱くないシャワーだ。温かいお風呂など夢物語である。
住まいと職を同時に失う派遣切りの嵐が吹き荒れた2008~09年頃、非正規労働者の集会に行くと独特の匂いがした。山本太郎とおしゃべり会に行くと同じ匂いのする一角がある。
2013年の参院選街宣で山本が非正規労働の改善を訴えると、ワーキングプアの青年たちは拳を突き上げて「ウォー」と雄叫びをあげていた。8年経った今でも、彼らは山本に真剣な思いを寄せる。「生活苦で死ななくても済む世の中にしてくれよ」と願って。
小川と山本の違いは政党を構成する「階級」の違いである。あえて図式化すれば、こうだ―
経団連労働部の連合が支える立憲と、庶民のカンパが支える れいわ 。年金生活者が3度の食事を2度に減らしてカンパするのが れいわ である。(文中敬称略)
~終わり~