
母親のように見守ってくれた木内みどりさんの遺影の前で、山本は目頭を押さえ声を詰まらせた。=2020年2月、都内 撮影:田中龍作=
山本太郎が国政に挑戦したのは2012年の衆院選挙だった。福島の原発事故の翌年である。山本は無所属で立候補した。
「脱原発の議員を一人でも増やした方がいいから、(比例復活のある)大政党から出た方がいいのではないか」と田中は進言したが、山本は「大政党じゃダメなんです」と言ってそのまま無所属で東京8区に立った。結果は落選。
山本はめげていなかった。翌2013年夏の参院選でも無所属を貫き東京選挙区で初当選を果たすのである。
一匹狼で活動を続けていたが、翌2014年末に小沢一郎率いる「生活の党」に合流した。小沢から成功例も失敗例も清濁併せ飲み学べば良かったのだが、山本は小沢に不満を抱き学ぼうともしなかった。「(小沢は)言ったことが翌日に変わっている」など言って憤っていたのを思い出す。
2019年4月、小沢のもとを飛び出し「れいわ新選組」を立ち上げる…ここから先はあらためて述べるまでもないだろう。

選挙を支えたボランティアたちと記念撮影する山本太郎。この時の気持ちを忘れなければよかったのだが。=2013年、国会正門前 撮影:取材班=
山本は「れいわ単独で政権は獲れないのだから連立を視野に入れる」と言って、主に立憲の若手と交流を深めた。2018年には連れ立ってマレーシアに消費税の調査に行った。
ところがいつの頃からか、極端な独自路線に走るようになった。他野党を「茶番」と斬り捨てた。
「女優の木内みどりさん(2019年11月他界)が生きていたら・・・」という声をしばしば聞く。彼女はまるで母親のように山本を見守っていた。れいわの選挙には必ずと言ってよいほど彼女の姿があった。
田中は木内みどりさんと直接話せる間柄だったのでよく知っているが、包容力があり慈悲深かった。山本が他野党を「茶番」呼ばわりして斬り捨てたりしたら、「だめよ」と教え諭しただろう。

ガザ戦争取材からの帰還祝いに駆け付けてくれた山本。顔つきが今とは別人のようだ。=2014年、都内 出席者撮影=
木内さんが他界し、入れ替わるようにして入ってきたのが、大石晃子(2021年2月初当選)だった。大石の人間性については巷間伝えられているので、ここでは敢えて言及しない。したくもない。
初期の頃からの山本を知るれいわ関係者は「太郎は大石と合流して明らかに人が変わった」と話す。
パワハラ、セクハラ、秘書給与詐取…れいわは疑惑のデパートである。離党者が相次ぎ学級崩壊状態となっている。
法定速度を69㎞/hも上回るスピード違反は故意である。死亡事故にもつながる犯罪を国政政党の代表がしでかしたのである。
木内さんを偲ぶ会(写真最上段)で山本は「木内さんのような大人が育つ国にしたい。木内さんに胸を張って報告できるように社会の変革に努めたい」と話し声を詰まらせた。
山本太郎よ。いま、木内みどりさんの遺影の前で同じことが言えるか。
~終わり~

















