先頭集団が日比谷公園を出発してから最後尾が出るまでに3時間近くかかった。やっとこさ最後尾が出発した頃、ゴール地点にあたる国会前では集会がすでに始まっていた。筆者は国会前と行き来したために参加者数を最後まで正確に数えることができなかったが、2万人は超えていただろう。
福島原発事故1周年(2012年3月11日)に行われた国会包囲デモのような殺気こそないが、熱気はあの時と同じだ。
盛岡、岐阜、山梨…遠方の地名が入ったノボリと横断幕が秋風に揺れた。最も目立ったのが親子連れだ。
杉並区の母親は2人の子供(3才と11才)の手を引いて参加した。
「子供を守れ」「海を汚すな」「牛乳飲みたい」。シュプレヒコールをあげているのは3才の男の子だ。母親と一緒にネット動画を視聴していて覚えたという。
「秋になりサツマイモ、栗、キノコが給食に出始めるようになった。牛乳を飲ませないので水筒を持たせている。弁当を持たせたいけれど事故から時間も経ち対応できない。いつも不安が消えない」。母親は顔を曇らせながら語った。
日比谷公園を出たデモ隊は経産省から内幸町の東電前までの通称「電力通り」を通過した。「東京電力は恥を知れ」…東電前にさしかかるとトラメガを抱いた火炎瓶テツさんの声が一段と大きくなり参加者たちも唱和した。
会社員の父親(20代・多摩在住)は肩車した我が子(3才)の未来が不安だ―
「原発に希望はない。事故が起きて経済優先を見直さないといけない。皆がそう思ったのに、まだ経済優先で突っ走っているじゃないか。子供がいるので同じ事故を繰り返す訳にはいかない。子供の食事は完璧にしたら食べるものがなくなるので体を強くする食事を心がけている。常に移住の葛藤がある」。
日本人は熱しやすく冷めやすいと言われる。だが子供の未来を案じる親心にそれは当てはまらない。親と子がいる限り脱原発デモの熱気は冷めないだろう。
《文・田中龍作 / 諏訪都》
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「原発ゼロ統一行動」主催:首都圏反原発デモ/さようなら原発1000万人アクション/原発をなくす全国連絡会