それは原発の総本山である経産省の喉元に突き付けられた匕首(あいくち)だった。
福島の原発事故からちょうど半年が過ぎた2011年9月11日、脱原発を訴える市民たちが経産省の片角に団結小屋となるテントを建てたのである。名付けて「脱原発テント」。
同テントは原発事故で故郷を奪われた福島の人々の第2の故郷ともなっていた。「原発をなくしてほしい」と願う市民の聖地となっていた。
親しまれてきたテントは、しかし、5周年を迎える矢先の2016年8月、国家権力により強制的に撤去された。
テント創設12周年のきょう11日、脱原発テントを支えた人々が経産省前に集った。
創設間もない頃、警察と経産省がテントを急襲し、取り壊そうとしたことがあった。支援者たちはテントを取り囲んで守ろうとした。
私服刑事から逮捕を仄めかされた女性は「天皇陛下としか話さない」と言ってはねのけた。
当局はテントの撤去を諦めて撤収した。市民が体を張って守ったのである。
テントが撤去されても人々は経産省前に来る日も来る日も座り込み、「原発を再稼働するな」と訴えてきた。
原発事故から12年と半年が経った今日、経産省前には「汚染水を海に流すな」のノボリや横断幕が翻った。
政府と東電は先月24日、地元漁民や近隣諸国の反対を押し切って汚染水の海洋放出を始めた。
海水をサンプリング調査し「安全だ」と新聞テレビを使って吹聴する。問題は海水そのものではないのだ。
放射能で汚染されたプランクトンを小魚が食べ、小魚を大魚が食べる生体濃縮が危険なのだ。水俣病の恐ろしさはこの生体濃縮にあったのだ。
新聞テレビの記者はそれを知っていながら「基準値を下回る」などと書き立てる。
汚染魚を食べ続けた人々の人体に放射能の影響が出る。あるいはその人の子孫に影響が出る可能性があるのだ。DNAが傷つけられ子子孫孫、後世に行くほど、濃縮されていくのである。
経産省に突き付けられた匕首は喉元との距離をさらに縮めることになる。
~終わり~
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