2001年11月、タリバンは米軍とアフガン北部同盟によってカブールから追い出された。今とは真逆のカブール陥落である。
カブール取材のフィクサー(通訳兼案内人)は、北部同盟の中心的存在であるマスード派の元ムジャヒディーン(聖戦士)だった。
地雷原を突っ切らねばならない事態となった。元ムジャヒディーンは「俺の足跡以外は踏むなよ」と言って、一歩一歩進んで行った。臆病者の田中は目を凝らして元聖戦士の足跡だけを踏みながら歩いた。
当時アフガンには、義足の男性が当たり前のようにいた。「俺も片足を失うのかなあ」などと思いながら地雷原を進んで行った。
数日前に体験した対戦車地雷の爆発が耳と体に蘇った。重低音と共に地震のように、いや地震以上に地面が揺れた。対戦車地雷は人間が踏んだ位では作動しないと言われているが、あくまでも理論上だ。
生きた心地がしないまま歩き続けたが、戦場を知り抜いた古武士のような男のおかげで、田中は無事目的地に辿り着くことができた。
ウクライナでは軍が地雷探知機を使って地雷のないことを確認して、各国の記者カメラマンを入れた。管理された戦場である。
不謹慎を承知でいえばハプニングも緊張感もない。
ガザ東部の畑にはハマスの対戦車地雷が埋まっていて、イスラエルの誇るメルカバ戦車が犠牲となった。子供たちは鹵獲したメルカバ戦車のうえで楽しそうに遊ぶ。
ウエストバンクの難民キャンプでも対戦車地雷が仕掛けられていた。
紛争地ならではの光景だ。管理された戦場よりも管理されていない戦場の方が断然絵になる。
ジャーナリストとはつくづく因果な商売と思う。
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田中はきょう(19日Monday)も街頭に出ます。何としてでもパレスチナの惨状を伝えねばなりません。