「米軍 アフガンから撤退」が全国紙の一面に踊る。
20年前の報道はこの真逆で「米軍と北部同盟がタリバンを掃討した」と謳っていた。テレビは勧善懲悪が成ったかのようにハシャイでいた。
前回のカブール陥落(2001年末)から間もなくの頃、田中は隣国パキスタンのペシャワルからカイバル峠を越えてカブールに入った。
砲撃と地雷で大きくえぐられたラフロードが、戦争の激しさを物語っていた。
パキスタン‐アフガン国境にまたがる「部族地帯(トライバルエリア)」は、20年後を暗示していた。
トライバルエリアは両国の妥協の産物で出来た地域で、世界最強の米軍でさえ手を出すのは容易ではない。
ヘタに踏み込めばパキスタンが政情不安定になる。2003年、米軍がトライバルエリアを空爆すると、ムシャラフ大統領(当時)が暗殺未遂に遭った。
パキスタンは、米国にとって最も度し難い国イランと親露国のイランに挟まる。中東、南アジアの橋頭堡だ。虎の子の存在である。
前置きが長くなった。タリバンはトライバルエリアで体力を回復、増強しカブールに戻って来ただけなのだ。
極端に言えば、タリバンが戻って来ることは20年前から予想されていたことなのである。
田中は2007年にもアフガンを訪れたが、カルザイ大統領(当時)は「カブール市長」と揶揄されていた。
2009年にはカブール郊外にある米軍最大のバグラム空軍基地が、ロケット弾の砲撃に見舞われている。
首都をNATO軍でかろうじて守っていただけ。これがアフガニスタンの実態だった。
アフガンに介入すれば、強国・大国といえども手ひどい目に遭う。古代ローマの進撃が止まり、大英帝国が敗れ、ソ連が崩壊した。米国はそうなる前に撤退したのである。
~終わり~