きょう24日を最後に廃刊となる「リンゴ日報」の最終版を、香港の友人・黎氏が写メで送ってくれた。
「雨の中の悲しい別れ」の大見出しが、今にも泣き出しそうだ。
リンゴ日報は国家安全法違反でジミーライ社長はじめ幹部が逮捕され、会社の資産が当局により凍結された。新聞を発行しようにも発行できない状況にまで追い込まれたのである。
「これまでリンゴ日報に励まされてきた。(廃刊は)つらいがこの段階になるとしようがない、と諦めの境地だ。香港政府は勝手にやってくれ。もう私たちの政府じゃない」。友人は力なく語った。
別の友人・張氏は23日夜、リンゴ日報編集部に入った。17日には印刷所で輪転機が回るようすを撮影した。
大手町と銀座が一緒になったような街、中環のスタンド前には、最後のリンゴ日報を買い求める人が100人ほども並んだという。
張氏は「(言論弾圧で)何も言えないからリンゴ日報を買うことで抵抗してきた」と廃刊を悔しがった。
「香港はここまで落ちぶれたか」と溜め息まじりに語った。
中国政府を容赦なく批判する「リンゴ日報」は、言論の自由の最後の砦と言われ香港人から愛された。
日本の新聞とは姿勢が180度違う。「社会福祉のために必要だ」と消費税増税を説く一方で、自らには軽減税率を適用してもらう。政府のお先棒を担ぎ、経営を守ってもらう。それが日本の新聞だ。
取材姿勢も日本の新聞と全く違う。日本の新聞は国民に寄り添う振りをしながら権力の側に立つ。
人民解放軍の一部が擬装する警察が、デモ隊に向けて催涙弾を雨あられのごとく浴びせる。
苛酷な状況にあっても香港の記者たちはデモ隊側から取材を続ける。警察の後ろを金魚のフンのごとく付いていく日本の記者クラブと違い、体を張ってデモ隊の側に立ち続けるのである。
有難うリンゴ日報。会社が潰されても、幹部が逮捕されても、民衆の立場から大中国にもの申し続けた。あなたたちと現場で一緒に取材できたことは田中龍作の一生の宝です。
~終わり~