隅田河畔の桜が見頃を迎えた。ウクライナは東京より約一か月遅れて桜が見頃となる。
桜は富める者にも貧しき者にも平等に咲く。だが戦地にも平和な国にも平等に咲く、という訳にはいかない。
戦地の場合、桜を愛でる人がいなくなっているのだ。残っていたとしても桜どころではない。
岸田首相が26日、防衛大学校の卒業式で「今日のウクライナは明日の東アジア」と訓示した。
東アジアが戦乱の地になるのか、ならないのか。誰も断言できない。独裁者の胸三寸で決まるからだ。
反米親露の御仁たちは聞く耳を持たないだろうが、近現代史に照らし合わせると、ロシアに侵攻されても不思議はない。
ソ連(現ロシア)は日ソ中立条約を破棄し、失効を待たずして満州に攻め込んで来た。破棄した翌日のことである。
スターリンは半年近くも前からシベリア鉄道で満州国境付近まで大量の武器弾薬や兵員を輸送させていた。
なのに日本は満州侵攻の前夜まで米英との和平仲介をロシアに懇願していた。間抜けという他ない。
ラブロフ外相はウクライナ侵攻の直前まで「ロシアは侵攻しない」と宣(のたま)っていたが、舌の根も乾かぬうちにウクライナに攻め込んだ。
六十余万人もの日本人将兵・軍属のシベリア抑留と、今回ICCがプーチン大統領に逮捕状を発布した子供の連れ去りは「犯情」において同様ではないだろうか。
中国はどうだろう。中英共同声明で「香港の自治は返還(1997年)から50年間維持される」とある。にもかかわらず、香港の言論の自由を弾圧し、民主派を壊滅状態に追い込んだ。
ロシアと中国。というより独裁者が権力を握る国は外国との約束を反故にすることなど屁とも思っていないのだ。彼らに西側の常識は通用しないのである。
歴史は繰り返す。人のいい日本人は肝に銘じる必要がある。
ブッシュの米国がイラクで繰り広げた戦争犯罪はもちろん裁かれるべきだ。
不幸にして戦乱に巻き込まれても、被害を最小限度に食い止められるように、危機管理はしておくべきだろう。
平和な世の中で花見を楽しむ・・・日本では当然なのだが、当然ではないのが国際情勢なのだ。
~終わり~
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