福島の原発事故からちょうど半年経った2011年9月11日、市民1,300人が経産省を人間の鎖で包囲した。今では想像もつかないような光景だ。
この日、同じ場所でもう一つの“事件”が起きていた。経産省の角っこに原発反対運動の拠点となるテントが張られたのだ。
国策で原発を推し進めた通産省(現経産省)は、ノド元に匕首(あいくち)を突き付けられたのである。
「脱原発テント」と呼ばれ、原発に反対する人々の聖地となった。
テントを設けたのは60年安保闘士をはじめとする平和活動家たちだ。環境活動家や市民運動家たちも連なった。
きょう11日で、「脱原発テント」は10年目を迎える。原発再稼働に反対するスピリットの源は今なお脈打っている。
10年目を迎えたこの日、経産省前で集会があった。24時間体制でテントを守った人々が顔を揃えた。福島みずほ議員の姿もあった。
経産省前の歩道は交通整理が必要なほど人であふれ、制服警察官が出動した。
共同代表だった渕上太郎さんと正清太一さんは、すでに鬼籍の人となった。8人が遺影で参加した。歳月の流れを感じずにはいられなかった。
原発事故から間もない頃、放射能から国民を守るのに右も左もなかった。
2011年11月朝、警察と経産省が脱原発テントを撤去しようと大挙やってきた。
市民たちがテントの入り口に座り込んだ。私服警察官が一人の女性に退去を求めた。
女性が「天皇陛下としか話さない」と拒否したところ、警察は とたん に大人しくなった。
警察と経産省はこの日の強制撤去を見送らざるを得なかった。
この出来事を知った民族派の新右翼が2日後に経産省を訪ね、「テントを撤去してはならない」とする要請書を枝野幸男経産相(当時)あてに提出した。
いろんな勢力があの手この手で守ってきた脱原発テントだったが、2016年8月21日未明、裁判所の執行官によって強制撤去された。あと20日で5周年を迎える日だった。
~終わり~