
どこに行ってもオリーブのねっとりと甘い香りが田中を迎えてくれた。=2025年、レバノン南部 撮影:田中龍作=
イスラエル政府高官がレバノン南部占領を公言した。パレスチナで西岸の入植地拡大(占領)を強引に進める極右のスモトリッチ財務相が「急げ」と尻を叩いた。
イスラエルにしてみれば、イランと同時にレバノンのヒズボラを潰す絶好のチャンスである。
私の背筋にはべっとりとした脂汗が流れた。
彼らの言うレバノン南部とはイスラエル国境からリタニ川までのことだ。南北に60キロメートル、広さ934平方キロメートル。
背筋が寒くなったのは、リタニ川以南にもパレスチナ難民キャンプがあるからだ。

レバノンには48万人のパレスチナ難民がいて、12ヵ所のパレスチナ難民キャンプがある(UNRWAまとめ)。=2024年、ベイルート市内 撮影:田中龍作=
イスラエルのレバノン侵攻(1982年)で起きた「パレスチナ難民キャンプ虐殺事件(通称サブラとシャティーラ)」の悪夢が蘇る。
死者の数は計測不能。田中は不運にも現場に行けなかったが、スチール写真で見る限り、パレスチナ難民の死体が山のように積み重なっていた。
死体の山は人間の背丈よりも高かった。斬り取られた頭部が旗竿の先に無造作に乗せられていたりした。
世界を震撼させた事件だった。イスラエル軍が難民キャンプを包囲し、キリスト教マロン派の民兵が直接手を下した。イスラエル軍は、しかし、照明弾を打ち上げるなどして虐殺に手を貸した。首謀者はイスラエル軍のシャロン将軍(後に首相)というのが定説だ。
国際社会の極めて厳しい論調でイスラエルを批難した。「ユダヤ人はこれでナチスドイツの蛮行を批判できなくなった」と。

「7千人の遺体がここに埋まっている」と地面に手をやるアブラビさん。虐殺事件の前、イスラエル軍に囚われの身となっていたため難を逃れた。=2015年、サブラ 写真:筆者=
山あり谷あり平地ありで肥沃な南部は農産物の宝庫だ。柑橘類、バナナ、オリーブ、きゅうり、トマト、レタスなどがたわわに実る。牛、羊の畜産もさかんだ。
だがイスラエルの侵攻で農民は耕作地を放棄せざるを得なくなった。牛や羊を連れて北に避難することは不可能だ。
食事にも事欠く避難民は、慈しむようにして育てた野菜、果物、肉を思い出すたびに身を削られる思いだろう。
イスラエル軍はすでに100万人を超す避難民を産んだ。パレスチナばかりでなくレバノンでもナクバをやってのけたのだ。血の通った人間の仕業ではない。
~終わり~
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戦争に虐殺、略奪、レイプはつき物です。田中龍作ジャーナルは、日本の他メディアと違って戦争を評論で報道したりしません。ありのままを伝えます。

















