河野太郎大臣が突然テレビを前に試食をしてみせ、徳島県の高校で給食メニューになり、話題になったコオロギ食。
都内にコオロギ食をテーマとしたカフェが登場したのは昨年7月。アメ横の喧騒から数分のところにそのカフェはあった。
店先に試食用の素揚げしたコオロギやコオロギパウダー入りクッキーや焼き菓子が置いてある。
看板を見た人々はギョッとした表情で通り過ぎるが、何人かは眉間にシワを寄せながら試食用のパッケージをつまみ取って行く。店に入り込む人はいない。
意を決してカフェの中に入ってみると、コオロギパウダーを使用したサプリ、洋菓子、煎餅、素揚げのスナックなどが並んでいた。
今は話題として食べてみるかどうか、という段階なのだろう。
「昆虫食を推進するのは陰謀である」という説と、「環境に良いから推進すべし」という説。
両方の主張がどこから湧いてきたのか分からない。だが、幼いころから常食していないものを食品として受け入れよ、というのは心理的負担が大きい。
日本でもイナゴの佃煮は昔から広く知られていた。農村育ちの母(80代)は、違和感なく食べることができる。
30年ほど前の韓国では、糸を取った後のカイコの中身を炒ったものが売られていた。ボンデギと呼ばれ、缶詰もある。
今はどうか知らないが、三角に折った新聞紙に盛ったボンデギを女性達は「髪に良い」と言って食べながら歩いた。
ボンデギは見た目もさることながら、タンパク質が熱せられた時のイヤな匂いがする。留学生は「ボンデギを食べることが出来るかどうか」を、肝試しに用いたりした。
ところで、イナゴは田んぼの害虫であり、ボンデギ(カイコ)はシルクを生産する途中で出る廃棄物の再利用である。わざわざボンデキが髪に良いからと言ってそのためにカイコを育てたりはしない。
昆虫食にまつわる違和感は「わざわざ養殖してまで食べなければいけないのか?」という点に尽きると思う。
養殖するならいつも食べているもの、見た目の違和感がないものに限る。ハマチやウナギがそうだ。でなければ、やはり反対は根強いのではないか。
とはいえ、もし食糧危機が訪れたらどうするか。椅子と飛行機以外は食べるようなことにでもなれば、その辺に生えている草だろうが、コオロギだろうが食べなくてはならない。
ましてや、コオロギ食はお上のお墨付きである。
かつて「貧乏人は麦を食え」と言った大臣がいた。これからは「貧乏人はコオロギを食え」となるのではないだろうか。
もちろん、庶民の見ていないところで権力者や富裕層はステーキを食べるのだ。
~終わり~