亡き母は保健所の保健師だった。無医村地区や生活保護世帯など医療の光が当たらない所に健康診断に出かけていた。半世紀も前のことなので今、保健師の守備範囲がどうなっているのかは、分からない。
田中が小学校5年生の頃だったか。新聞配達仲間だった生活保護世帯の男性が明かしてくれた。
「アンタのお母さんが僕の結核を見つけてくれたんだ。お陰で死なずに済んだ」と。
無医村地区や生活保護世帯で結核患者が見つかったりすると、母は入院手続きに付き添っていた。
母は風俗街にも足を運び健康診断にあたっていた。風俗嬢たちは昼、寝ているので、訪問するのは夜だった。「結核が見つかった」と暗い顔で言っていたのを思い出す。
お節介な性格ゆえ権威的な町村長からは嫌われていたようだった。
そんな母の口癖は「医療は恵まれない人々のためにある」だった。
コロナに感染した女房が救急搬送された病院は、入院保証金を払わなければならない。
きょう会計窓口に行き耳を揃えて●十万円を払ったところ、事務員から「連帯保証人の欄も記入するように」と言われた。
核家族化が進む時代、しかも田中のようなフリーランスの保証人になってくれるような人間がいる筈がないではないか。
田中が「連帯保証人がいなかった場合は?」と尋ねると、事務員は「入院保証金と同じ金額をもう一度頂きます」と涼しい顔で答えるのだった。
「金持ち以外は死ねということか?」。田中は怒鳴りたくなった。
母が草葉の陰から蘇ってきて「医療は恵まれない人々のためにある」と言って聞かせたところで、今の医療関係者には理解不能だろう。
~終わり~
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田中は、入院した女房の身の回りの世話と家事の両方を、こなさねばならず、取材執筆にも支障を来す状態となっております。
何とぞご海容のほど、よろしくお願い申し上げます。