
かつては緑色のタンク4基がロシア海軍の艦船に給油していた。ここがロシア海軍の埠頭だった。=17日、タルトゥース 撮影:田中龍作=
ロシアがシリア内戦に本格参戦した大きな理由の一つとして、地中海に出る軍港を手に入れたかった、というのがある。
首都ダマスカスから北北東に250㎞の港町タルトゥースに向けて取材車を走らせた。途中幾度も新政府軍の検問に遭った。
タルトゥース手前でロシア軍の装甲車が幹線道路沿いに乗り捨てられていた。自軍の軍港を守るための陸上部隊だったのが、反アサド軍の攻撃に遭って潰走したのだろう。
ダマスカスから3時間余り走ると東地中海の港町に着いた。地元住民に「ロシアの艦船はどこに停泊していたのか?」と尋ねると、住民は「沖に出た」としながらロシア軍の埠頭を教えてくれた。
軍事機密が詰まった港は日本や欧米のように容易に撮影できない。
作業員にカネをつかませ建設中のビルの最上階(17階)に上り、そこからカメラのシャッターを切った。
かつては4基(写真・緑色)のタンクがロシア軍の艦船に給油していたという。住民が言った通りロシア軍の艦船は見当たらなかった。

乗り捨てられたロシア軍の装甲車。=17日、タルトゥースに通じる幹線道路沿い 撮影:田中龍作=
田中はロシア海軍が使用していたもう一つのラタキアを目指した。100㎞真北である。
タルトゥースの出口でまたしても軍の検問にあった。係官は「ここから先は多くの旅人が銃撃されている。物盗りだ」とさりげない顔で告げた。軍は決して田中を止めなかった。
タルトゥースとラタキアの間はアラウィー派の支配地域だ。人口の75%を占める。権力を世襲させたアサド大統領父子の出身宗派である。ロシア海軍の軍港を誘致したゆえんだ。
半世紀にわたってアラウィー派は優遇され、人々の妬みをかった。
ところが潤っていたのは、アサドの親戚の20ファミリーだけである。彼らはアラウィーの庶民からカネを巻き上げていたとされる。
アサド政権が崩壊するとアラウィーへの粛清が始まった。20ファミリーはロシアなどに逃げた。残されたアラウィーの貧しい庶民はさらに窮地に追い込まれた。
成人は一人一丁カラシニコフAK47を持っているような地域である。食って行けなくなれば、旅人を襲撃しての金品強奪に走る。
軍や武装勢力に撃たれて命を落としたのならともかく、物盗りに遭って殺されるのは、ジャーナリストとして不本意である。北上は諦めた。
~終わり~
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【読者の皆様】
田中龍作ジャーナルは読者のお力により維持されています。今回も借金に借金を重ねての取材となりました。