9年前のきょう(2004年8月13日)、沖縄国際大学(宜野湾市)に米軍ヘリが墜落した。夏休みのためキャンパスに学生はほとんどいなかったが、現場は住宅密集地で大惨事につながりかねない事故だった。
沖縄国際大学から50mほどの所に実家がある島袋聡子さん(29歳・看護師)は、事故当時、近くの市立図書館にいた。
窓から黒い煙が上がるのを見た島袋さんは、こんな時間に誰がタイヤを焼いているのかと思っていた。間もなく弟から電話がかかってきて、米軍ヘリが沖国大に堕ちたことを知った。
島袋さんは家族の安否が気になりすぐに自宅に帰ろうとした。だが自宅につながる沖国大前の道路は、すでに米軍に封鎖されていた。
「ここ、どこなんだろうか? 米国なのか? 基地の外なのに米軍が交通を遮断しているではないか」。怒りと疑問が彼女の頭の中で激しく交錯した。
米兵が見張っていて「写真を撮るな」と周囲の住民に告げていたが、島袋さんは見つからないように撮影していた。
9周年の直前に米軍ヘリが宜野座の山中に墜落炎上した。それからちょうど一週間目にオスプレイが追加配備された。24機態勢となる。未亡人製造機と言われ墜落事故が多発しているオスプレイが24機も沖縄の空を飛び交うのだ。
9年前より危険性は増している。
今朝7時から在沖米軍司令部が置かれているキャンプ・フォスターで「米軍基地とオスプレイの撤去を求める」集会が開かれた。基地のフェンスに白ハトを模した紙の切り絵をくくりつける住民の姿もあった。
島袋さんは勤務する嘉手納の病院に向かう途中、集会に立ち寄った。相次ぐ米軍機の墜落に加えてのオスプレイ配備をどう思っているのだろうか。
「信じられない。人間の考えることなのか? 同じ人間なのにどうして私たちは粗末に扱われるのか?」
彼女の言葉が沖縄県民の怒りを代弁しているようだった。