
=2015年8月31日、国会正門前。議事堂に迫るデモ隊とピケを張る警察。緊張は極度に達した。撮影:島崎ろでぃ=
2015年9月19日午前2時18分。国会正門前は悲鳴と怒号に包まれた。
憲法で禁じられてきた集団的自衛権の行使を可能にする「安保法制」が可決成立したのである。社民党の福島みずほ議員が「戦争法」と喝破した、凶悪で醜悪な法案である。
醜悪なのは国会の内外で茶番劇が繰り広げられたことだった。それは現在も続く。
安保法制が強行採決された19日は土曜日。翌日から4連休である。連休明けに安倍首相は訪米を控えていた。
集団的自衛権の行使を容認する安保法制制定の裏には、米国の強い要請があったのだ。

=2015年9月14日。安保法制に反対する若い力がバリケードを崩壊させた。国会正門前 撮影:田中龍作=
19日(土曜日)に野党が採決させないようにすれば、安倍首相は安保法制を手土産に米国の土を踏むことはできなかった。
ギリギリまで引っ張ったのは「抵抗しましたよ」という風に見せる野党のパフォーマンスだったのだ。
19日に採決させない戦術としては、牛歩があった。実際、山本太郎は牛歩した。投票箱のある檀上に上がるや「アメリカと経団連にコントロールされた政治はやめろ。外(国民)の声が聞こえないか」と議員たちを一喝した。

=2015年9月18日夜、強行採決まであと4時間。「憲法守れ」「安倍は辞めろ」…これが外の声だった。国会正門前 撮影:田中龍作=
安保法制に反対する人々が怒涛のように国会に押し寄せた。議事堂正門前から霞ヶ関まで人で埋め尽くされた。主催者発表の12万人は盛りではなかった。8月31日のことだ。
翌月に強行採決が予想されていたため、人々は危機感を募らせたのである。
デモ隊で埋め尽くされた議事堂前の空撮映像は、安倍晋三が最も嫌う光景と伝えられた。安保法制に反対する国民の怒りのエネルギーを畏怖していたのだろう。
警察は議事堂正門前に機動隊の輸送車を2列に配置し、さらに鉄製のバリケードを築いた。国会突入を防ぐためだ。
霞ヶ関方面から押し寄せてくる参加者は引きもきらなかった。前進圧力が強まれば、機動隊の輸送車もバリケードも突破される。
その時だった。突如として主催者側から「お帰り下さい」のアナウンスが流れた。田中は我が耳を疑った。何かの間違いだろうと。リーダー格の市民運動家は「負け続けたから今がある」などと嘯く御仁だ。
それでも参加者は主催者側の言いつけであるためアナウンスに従ってゾロゾロと帰り始めた。8月31日午後4時、安倍続投が決まった瞬間だった。
国会の内と外での茶番が安倍政権を延命させた。国会内の茶番は今なお続く。

=2015年9月3日、国会議事堂前から霞が関方面を望む。人の波は日比谷公園まで続いた。撮影:田中龍作=
~終わり~
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