麦畑が国民と国土を守った

手前が小麦畑。右奥の緑は大麦畑。=開戦2ヵ月後の2022年4月、キーウ北部近郊 撮影:田中龍作=

ウクライナ郊外は見渡す限りの大麦小麦畑だった。写真手前は小麦畑、右上の青い部分は大麦畑だ。

ロシアによる軍事侵攻に苦しめられても国民が食べて行けるのは、ウクライナがヨーロッパの穀倉地帯と言われるほどの農業国だからだ。麦畑はその象徴である。

ウクライナでパンを食べると味が濃密なことに驚く。栄養素がギッシリ詰まっているのだ。エネルギーがモリモリと湧いてくる。日本で食べるパンとは全く別物である。

ウクライナ軍のミサイル攻撃で破壊されたロシア軍の戦車。=開戦2ヵ月後の2022年4月、キーウ北部近郊 撮影:田中龍作=

2022年2月24日、ロシア軍の大戦車部隊がベラルーシ国境から首都キーウに向かって進撃してきた。「先頭車両が来て最後尾が通過するまで6時間かかった」…あちこちで村人の証言を聞いた。

その大戦車部隊が威力を発揮できなかった。当初、予定していたように横に広がって麦畑の上を前進できなかったのである。

理由は農民が知っていた。2月下旬ともなれば、霜柱が溶け麦畑はぬかるむようになる。戦車は泥濘にはまって立ち往生するのだ。

ロシア軍の戦車部隊は一本道の舗装道路を一台ずつ進むしかなくなった。ウクライナ軍にそこを狙われ、つるべ撃ちにされた。ロシアの戦車部隊はマンマとおびき出されたのである。

道路上、道路脇はロシア軍戦車の残骸だらけだった。

農民は「1月だったら畑はガチガチだった」とも証言した。戦車は固い畑の上を通過できたのである。ロシアが1月中に侵攻を開始していたら戦局は違ったものになっていただろう。

地雷源となった麦畑もある。ロシアの歩兵部隊を食い止めたのだ。=開戦2ヵ月後の2022年4月、キーウ北部近郊 撮影:田中龍作=

ロシアに散々痛めつけられてきたウクライナの農民は強い。スターリンの失政によるホロモドール(飢饉による殺害=1932~34年)では330万人~数百万人の餓死者を出したほどだ。家畜も犬猫も死んだ。

ホロモドールを生き延びた農民の孫によれば「種を隠した」そうである。自衛したのだ。

野菜畑を耕していた農家の婦人は「ロシア兵には一歩たりともウクライナの土は踏ませない」と言って口を真一文字に結んだ。

「生かさず殺さず」状態で農業と食が蔑ろにされている日本が、戦争なんてできるわけがないのだ。開戦せずとも封鎖されて餓死者が続出するだろう。

 ~終わり~
   
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