銃弾1発放たれなくとも戦争は悲惨である

父親の境遇を本能的に察知して娘は泣き崩れた。=2014年、ウクライナ・クリミア半島ベルベク空軍基地 撮影:田中龍作=

2014年3月、ロシアがウクライナのクリミア半島に電撃侵攻した。現大統領のゼレンスキー氏がコメディアンだった頃のことである。

第一報を耳にするが早いか、田中は現地に急行した。兵力と装備で圧倒的に勝るロシア軍の前にウクライナ軍は無抵抗だった。

ウクライナ軍の基地という基地は悉くロシア軍に包囲されていた。基地の数だけ悲劇があった。

クリミア半島の最重要港湾都市セバストポリ郊外にあるベルベク空軍基地で目にした光景は、今でも忘れられない。

基地の外周では将兵の家族が鉄柵を隔てて父や夫と面会していた。

妻たちはコーヒーやビスケットなどを差し入れる。ポットから注がれるコーヒーは、小さな湯気を立てながら苦い香りを漂わせた。

恋人同士だろうか。新婚夫婦だろうか。手を握り合うだけで言葉はほとんど交わさなかった。
=2014年、ウクライナ・クリミア半島ベルベク空軍基地 撮影:田中龍作=

母に連れられて来た小学3年生の娘がいた。父親は鉄柵の内側だ。対面するなり娘は顔を伏せて泣き始めた。

「勉強は順調に進んでいるかい?」「はい」。父娘の会話は言葉少なだった。

ロシア軍の前に投降すれば捕虜。投降を拒めば総攻撃される。究極の2択である。

「投降すればロシア軍兵士として再雇用してあげるよ」という甘い罠に多くの将兵がかかった。8割が投降した基地もあった。

ロシア軍はそんなに優しくないのだ。再雇用先の基地はシベリアという話も聞こえてきた。ウクライナはロシアから散々な目に遭ってきた歴史がある。

「勉強は進んでいるかい?」。娘に聞く父親の目は悲しそうだった。=2014年、ウクライナ・クリミア半島ベルベク空軍基地 撮影:田中龍作=

上述したベルベク基地のマジョリティーはウクライナ系だ。

基地の兵営に入り広報官に話を聞くことができた。広報官はロシア系だった。

ロシア軍はいつ来たのか? 部隊の規模は? 何と言って投降を迫っているのか?…基本的なことを幾つか訪ねた。悠長にロングインタビューなどできる状況ではない。

広報官に「この先も投降はしないのか?」と尋ねると、広報官は「投降しない」。きっぱりと答えた。

「私はロシア系だが、軍人としてすべてをウクライナに捧げている」。彼は最後にぽつりと言った。

死ぬか、捕虜になるか。究極まで追い詰められているのに、彼は軍人の矜持を忘れていなかったのだ。

ベルク空軍基地の将兵は今頃どうしているのだろうか。妻と娘は元気だろうか。

戦争は一発の銃弾を放たなくとも充分に惨い。

 ~終わり~

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