新聞・テレビは原発事故を参院選の争点としないように努めているが、ネット上では関心の高いテーマのひとつとなっている。福島原発の事故後、避難指示基準を20mSv/年 とした文科省の判断が、東京選挙区で選挙戦の行方さえ左右しそうな争点となっているのだ。
長島昭久・衆院議員は2011年4月27日、自らのツイートで「遂に堪忍袋の緒が切れた。20mSv基準を押しつける文科省判断は絶対に認められない」と怒りを露わにした。「文科省、厚労省の役人とも激論し最後は鈴木寛文科副大臣(とやりあった)」とも明らかにしている。
長島議員の一連のツイートは“発掘され”ネット上を駆け巡った。見解が分かれる「20mSv問題」で、身内(民主党議員)からも鈴木副大臣が突き上げられていたことが明らかになったからだ。
真相はどうだったのか? 筆者は長島昭久氏と鈴木寛氏に会い直接話を聞いた。16日、場所は両氏が選挙の街頭演説に訪れた立川駅前。
長島議員は「子を持つ親として(線量は)低ければ低いほどいいということで(鈴木氏と)激論した」と明らかにした。「電話でやりあった」という。
「それでも国際基準に従い、ゼロに近づけるために土を掘り起こすなどしてくれるということなので最後は彼(鈴木氏の言うこと)に納得した」。長島氏は矛を収めたいきさつも話した。
肝心の鈴木氏は長島氏との激論の有無には答えず「除染して1・6(μSv/h)まで下げた」と語った。
なぜ避難させなかったのか?の問いには、「子どもの『心の健康』を考えて」と答えた。当時、避難先で「放射能がうつる」などと差別された子供の事例が報道されていた。鈴木氏はそれを心配したのだろう。
有権者との握手に余念がない鈴木氏はこれ以上答えず、憮然とした表情で筆者に背中を見せた。
学校のグラウンドは除染により線量が下がるだろう。だが学校を一歩出れば、そこは高線量地帯だ。子どもたちは高線量のなかで暮らすのである。
事故当時、ホットスポットが点在する伊達市に妻と2人の子ども(中学1年、小学校4年)と共に住んでいた男性(公務員・40代)は次のように憤る―
「(放射線管理区域の4倍もある)20mSv基準に人々を住まわせているのは許しがたい。非人道的と言われてもやむを得ない」。
男性は妻子と共に放射能をのがれて今は札幌に暮らす。2人の子どもは「放射能がうつる」などとは言われないそうだ。
鈴木寛氏が心の健康を心配しているが?と男性に尋ねると、「子どもたちを安全な所で生活させることの方が心の健康だ」と答えた。避難を決意した理由でもある。
放射能の受け止め方をめぐる鈴木寛氏と福島住民との落差だろうか。