
チェルノブイリ原発4号機。原子炉建屋は放射能で損傷していた。傾きかけてさえいた。=2012年、ウクライナ 撮影:田中龍作=
立憲の枝野元代表が20日、地元の講演会で「古い原子炉を廃炉にしてリプレース(建て直し)し最新鋭にした方が安全性が高まる」と発言した。
国民民主の玉木代表は「安全性が確認できた原発から再稼働していく」と口癖のように言う。
彼らは2011年3月11日に何が起きたのかを忘れたのだろうか。電源喪失した東電福島原発はメルトダウンを起こし、「東日本一帯は人が住めなくなる」とまで言われるほど緊張が高まったのである。
事故は14年経った今も収束できておらず、事故処理の方法さえ見つかっていない。現時点での人類の技術では安全な原発などありえないのである。安全な原発とは「暴力を振るわない暴力団」と言っているようなものだ。

10年ぶりに訪れたチェルノブイリ原発はジュラルミンの覆いが被せられていた。何年持つのだろうか。作家の浅田次郎さんは『灰色のマトリョーシカ』と呼ぶ。=2022年、ウクライナ 撮影:田中龍作=
田中は福島原発事故の翌年(2012年)、チェルノブイリ原発を訪ねた。人類史上最悪(1986年・発生当時)の大規模原発事故現場をこの目で見るためだ。
ヨーロッパじゅうを恐怖に陥れる放射能放出事故を起こしたチェルノブイリ原発4号機の前に立つ。手元の線量計は10μSv/hを示していた(地上から1mの高さで測定)。
四半世紀を経てもなお人間のDNAに幾つもの傷をつける放射能を吐き続けていたのである。
チェルノブイリ原発はリクビダートルと呼ばれる作業員を投じて原子炉に石を詰め爆発を食い止めた。リクビダートルとは後始末をする人という意味だ。放射能が強くてロボットがすぐにイカレたためだ。「人間ロボット」は大量の放射能を浴びた。
収束作業にあたった人員は60万から80万に上ると見られている。
その後も噴き出る放射能により建屋は損傷し続けた(写真・最上段)。

事故発生から一昼夜のうちに、原発労働者の町プリピャチ(4万5千人在住)から全員が脱出した。=2012年、ウクライナ 撮影:田中龍作=
田中はウクライナ戦争の開戦時(2022年)にもチェルノブイリを訪ねた。原子炉建屋はジュラルミンで覆われていた。かつての錆びた建屋(写真・最上段)は事故の悲惨さを物語るものだったが、ピッカピカのジュラルミン(写真・中段)は不気味でさえあった。
このジュラルミンも放射能で損傷が著しいため、新たな覆いが被せられるという。新たな覆いもまた損傷する。永久に新たな覆いが被せられることになる。原発事故は永久運動なのだ。
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ウクライナ戦争の開戦初日にベラルーシからロシア軍が雪崩れ込んできて、事故処理が続くチェルノブイリ原発を36日間にわたって占拠したことは、あらためて書かない。
~終わり~
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