日本時間の16日昼頃、ヒズボラの最重要拠点ダヒアがイスラエル軍の爆撃を受けた。
田中はすぐに現場に向かうべくドライバーを呼んだ。ドライバーは「Dahiya too much bombing. I can not go(ダヒアは激しい爆撃を浴びているので、俺は行けない)」と渋った。
結局、ドライバーにはダヒアのすぐ近くまで行ってもらい、田中はそこから歩くことにした。
ダヒアの入り口に差し掛かった時だった。「お前は誰だ?」。青年が大声で田中を呼び止めた。仲間がバイクでたちまち集結してきた。
田中がカメラを首に掛けているので、「ジャーナリストを装ったスパイか」と疑われたのだろうか。
10日ほど前にもイスラエルに雇われたシリア人スパイが、爆撃の成果を確かめに来ていたところをヒズボラに見つかり拘束されている。
ヒズボラと見られる青年は田中に「プレスカードを見せろ」と強い口調で催促した。
プレスカードはパスポートと共に車に中に置いてきた。万が一にでも紛失したり没収されたりしたら、今回の取材行はジ・エンドとなるからだ。
田中は「車の中だ。一緒に車まで来てくれ」と言ったが、ヒズボラと見られる青年は「Go away(帰れ)」と叫んだ。
従う他なかった。しばらく歩いて、ダヒアに入れる脇道を探したが、田中を追い返した青年がバイクで尾行していたのだ。
青年は金切り声で「Go away」と絶叫した。田中は泣く泣くダヒアを退去した。
イスラエル軍は「ヒズボラの武器弾薬庫を攻撃した」としているが、田中がダヒア入口で目視する限り、武器弾薬庫ではなかった。
立ち上る黒煙がショボイのだ。武器弾薬庫であれば、火柱があがり、黒煙は空を覆うほど大きく立ち上る。
前回8日のように歩いてダヒアの中に入れたのは幸運中の幸運だった。
ヨルダン川西岸(ウエストバンク)の最激戦地ジェニンを思い出す。対イスラエルでファタハとハマス(イスラム聖戦)が呉越同舟する。
2年くらい前までは外国のジャーナリストがジェニンに入るのは難しかった。田中を案内していたパレスチナ人の地元通訳が武装勢力から「命の保証をしない」と言われ、田中は取材を断念せざるを得ない羽目になった。
ところが昨年からイスラエル軍が陸上侵攻を中心に激しい攻撃を加えるようになって、事態は変わった。
ジャーナリストに Go away などと言っている余裕はなくなったのだ。昨年の後半、田中は足繁くジェニンに通い、イスラエル軍とパレスチナ武装勢力との白兵戦を取材した。
レバノンでジャーナリストにGo away と言えているうちは、ヒズボラはまだ健在だ。
~終わり~
◇
【読者の皆様】
大借金をしてレバノンまで来ております。アラブの民を虫けらのように殺し、国連軍まで攻撃するイスラエルの狂気を見届けたいのですが、滞在資金が底を突きかけています。
ご支援・カンパ何とぞ御願い申し上げます。