情報省発給の記者証なんてヒズボラの前では屁のツッパリにもなりはしない。
本拠地ダヒアに足を踏み入れようとした途端、ヒズボラの警察(政府の警察ではない)がバイクですっ飛んできた。2人組だ。
『POLICE』。白字で染め抜いた黒シャツと黒ズボンはそれなりの凄みがある。情報省の記者証を見せたが、まったく意に介していないようすだった。一人が「ちょっとでも中に入ったら逮捕するぞ」と怒鳴った。噛みつくような表情である。
資金に乏しい田中はフィクサー(通訳兼案内人)を雇えないので、手練れのドライバーに頼っている。イスラエル軍の空爆情報を事前に察知するような機敏な男である。イスラエル軍が退避警告を出す前に、だ。
そのドライバーが一計を案じた。シーア派の頂点に位置する●●●●家にツテを持つ彼は、田中がダヒアに入れるよう依頼したのだ。
イスラムは部族社会。●●●●家の効果はてきめんだった。連日連夜、イスラエル軍の空爆が続くダヒアに、田中は入れた。
無残に破壊された街は2014年戦争時のガザを彷彿とさせた。ヒズボラの施設とみなされた建物は跡形も残っていない。残っていたとしても真っ黒こげだ。
ヒズボラは重要拠点のダヒアを見せたくない。ダメージが明らかになるからだろう。
バンカーバスターを投下され地下深く抉られた場所には、武器弾薬庫などの重要施設があったはずだ。
イスラエル軍が幾度も幾度もミサイルを投下していた場所だ。2発目、3発目、4発目・・・しばらく間があって赤い火柱が上がっていたのを思い出す。
もちろんイスラエルはドローンで上空からの画像を撮影しており、都合のいい部分は公開する。
だがジャーナリストが下(陸上)から撮影した写真は生々しい。訴える力は空撮を遥かに凌ぐ。
空爆から一昼夜経ち風があるにもかかわらず、雲が上空にヘバリついていた場所にも田中は来た。ブルジュ・ブランジュと呼ばれるエリアだ。ここにはヒズボラの司令部がある。
ヒズボラは何を貯蔵していたのだろうか。案内人は「It’s residential area=ここは住宅地です」と、取って付けたようなウソしか言わない。案の定、撮影は叶わなかった。
前回(2015年)のレバノン取材では、地元ジャーナリストと共に比較的容易にダヒアに入れた。
今回は宿敵イスラエルと砲火を交えている最中であり、ヒズボラとしては機密を保持しておきたいのだろう。ジャーナリストを拒否する気持ちは分からないでもない。
だがガザのハマスはメディアを入れてほぼ自由に取材させる。その甲斐あってイスラエル軍の残虐非道を世界に発信でき、国際社会を味方につけることができているのだ。
レバノンでのイスラエル軍の蛮行を世界に知らしめるためにも、ヒズボラはそろそろ方針転換する時期に来ているのではなかろうか。
~終わり~
【読者の皆様】
大借金をしてレバノンまで来ております。
アラブの民を虫けらのように殺し、国連軍まで攻撃するイスラエルの狂気を見届けたいのです。
とはいっても滞在資金が底を突きかけています。