きょう昼過ぎ、古参の立憲関係者から田中の携帯に電話がかかってきた。この人物は立憲の代表選に吉田晴美が名乗りをあげたことを喜びながら、次のように語った。
「枝野さんや野田さんではこの党は沈むと、秘書の皆で心配していた」
「経験不足の晴美さんを小沢さんが参謀として支える。晴美さんを顔にして行く(選挙を戦う)。そうしたら立憲は巻き返しができる」。
華々しい自民党総裁選の前に埋没する…絶望しきっていた野党支持者にとって、吉田晴美が立ったことは闇夜に一筋の光だったのである。
吉田は今夕(28日)、地元(杉並区)で街宣を行った―
「1年生で手を挙げるのは永田町の論理ではあり得ない(中略)最初は心が震えました。私じゃダメなんじゃないか」
「全部の政策に精通している議員はいない。代表に必要な資質、それは決断をすること、方針を示すこと、ポジションに誰が適任かを見極める目とリードする力だと思う」
「一期生の視点を入れたい。若い世代が、新しい風が入って来なければ、組織は成長しない」
「経済政策は、今までのようなマイナーチェンジでは成り立たない。発想力、アイデア、新しい政治を作っていきたい。無理だと言って諦めたら壁はそのまま」。
吉田は大きな政策課題のたびに「私が総理になったら」と言った。話しっぷりが堂に入っている。とても一期目には見えない貫禄である。
2006年の衆院千葉7区補選を思い出す。当時民主党の人気は永田ガセメール事件で地に落ちていた。自民党は通産官僚出身の齋藤健(現経産相)を立てた。誰もが民主党の敗北を予想した。
小沢一郎幹事長(当時)はそこに千葉県議会議員だった太田和美を立て当選に導く。
勢いづいた民主党は翌2007年の参院選で勝利し、2009年の総選挙で政権を奪取したのである。
劣勢からの巻き返し。オセロゲームのように一気に政権を取る。小沢得意の戦術戦略が今回も功を奏するか。(文中敬称略)
~終わり~
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