国際政治の現実を伝えるため、忘れ去られつつある戦地の記事を再掲載しております。オリジナルは2020年12月です。
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ロシアが仲介した和平停戦から21日目のきょう、州都ステパノケルトの小中学校が授業を再開した。
アゼルバイジャンとの間で戦争が始まった9月27日から休校していたため、66日ぶりの授業となる。
ステパノケルト第8小中学校は、戦争前850人の生徒がいたが、戻ってきたのは350人だけ。残る500人は戦火を逃れてアルメニアの首都エレバンなどに避難したままである。
同じような事情を抱える市内の小中学校を一時的に統廃合する形になったため、全校生徒の数は750人。
田中は地元記者と共に小学校2年生のクラスを見学した。
担任の先生は教え子一人ひとりを抱いてキスした、という。無事戻って来られたことを祝福したのである。戻って来られない子供が半分以上いるのだ。
女子児童が田中に言った。「日本のように戦場を見ないで済む国になりたい」と。子どもたちは、街や村が戦場になったことを身をもって体験しているのだ。
田中は「戦争をしなくても、日本の子どもたちはどんどん貧しくなってるんだよ」と答えた。
「戦争ができる国になりつつあるんだよ」とは口が裂けても言えなかった。
パレスチナで19歳の野戦看護師から「自分の夢は日本に行くこと。日本は私たちの国のように戦争しないから」と言われたことがある。
田中は愚直にも「バカな首相がいてね。戦争できる国にしちゃったんだよ」と答えてしまった。
看護師は見る見る顔を曇らせた。田中の迂闊な一言が彼女の希望を奪ったのである。
海外の子供たちに後ろめたい思いをすることなく「日本は戦争ができない国なんだよ」と言いたかった。
~終わり~