日本初の西洋式庭園として1903年(明治36年)に開園した日比谷公園(16㌶)。高層ビルが林立し、人々が窒息しそうな都心にあって、開放的な空間を提供してくれていた。
再開発の餌食になっていると知ってから、田中は警戒のためカメラを持って公園内を歩いているのだが、きのう(10月1日)は驚いた。
広さの象徴でもあった噴水前広場が見るも無残な姿に変わっているのである(写真上段)。芝生の緑とバラ園の赤が目に鮮やかだった広場は、置石が掘り返され黒々とした残骸が横たわっていた。
間もなく更地となる建設工事現場特有の殺伐とした風景である。
現場には「第二花壇の基盤整備工事を行っています」の看板が立つ(写真中段)。
神宮外苑と同じく貴重な緑地帯である。「(日比谷公園の噴水前広場を)なぜ整備するのか?」東京都建設局公園緑地部に聞いた。次のような答えだった―
・「歩行者、車イスの方、イベントのため舗道を広くする」
・舗道は広くなるが(その分)「芝生面積は狭くなる」。改修前4200㎡→改修後3300㎡
・バラ園は場所を代えて残す。
・イベントのために可動式ベンチを置く(前回9月上旬の電話取材で)。
これらの整備事業は三井不動産の巨大事業である内幸町の再開発と密接不可分なのである。
『TOKYO CROSS PARK』と麗々しく名付けられた三井不動産の再開発計画は、延床面積約110万m2にも及ぶ都内最大級の規模。日比谷公園とつながるのがセールスポイントだ。
具体的には内幸町の高層ビル群から2本のブリッジで日比谷公園と結ぶ。
ブリッジを架けるには日比谷公園の樹木を伐採する必要が出て来る。東京都もこれを認めた。内幸町側は大木揃いである。事業者は伐採を移植と呼ぶ
前出の東京都公園緑地部は「(ブリッジは)都の公園計画に入っている」と説明した。
日比谷公園の芝生面積を狭くしてまで、舗道を広くするのは、内幸町側からブリッジを歩いて渡って来る利用客のためである。
都民にとっては何の不自由もない日比谷公園をわざわざ改修するのは、三井不動産のためなのである。
~終わり~
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