開戦から49日目、4月15日。
広大な範囲にわたって水底になってしまった穀倉地帯を訪ねた。人知を超えた破壊に度肝を抜かれた。
キーウから51㎞北のデミディフ村。水没していなければ、小麦畑や野菜畑が広がる。
水没した畑はデミディフ村だけではない。その周辺もである。広大過ぎて正確に把握できないのだ。
広大な範囲が水没したのには理由があった。水源がキーウ海だったのだ。海といっても内海である。広さ992キロ㎡。びわ湖(669キロ㎡)より遥かに大きい。
淡水なのか塩水なのか。舐めてみればすぐに分かるが、海岸に地雷が埋まっている可能性が高いため、舐めることはできなかった。ここは激戦地だったのだ。
村から空港のあるゴストメリまでは直線距離で17㎞。キーウ海南端には水力発電所もある。村は戦略要衝になった。
キーウ海の堤防はロシア軍の砲撃により破壊され、大量の水が穀倉地帯に流れ込んだのである。
ウクライナ軍はここに陣地を構え、キーウ海周辺を守っていた。ウクライナ軍の砲撃であるとは、まず考えられない。
村人の話はこうだ―
「(開戦翌日の)2月25日、ロシア軍のヘリコプターが飛来してきて爆撃した」。アレクサンダーさん(農業・60代)は、ウクライナ軍の陣地があったとされる方角を指さした。キーウ海の方角である。
イゴルさん(農業・60代)は家の2階をロシア兵に占領された。営舎として使われたのである。
床には破壊されたガラケーが散乱していた。スマホはロシア兵が我が物にした。ロシア軍は、村人の通信手段を奪って、外に連絡できないようにしたのである。
「3月1日にロシア軍の戦車や装甲車が数えきれないほどやってきた。100台くらいあったんじゃないかな。その後、ゴストメリの方角に進撃して行ったよ」。イゴルさんは当時を振り返った。
イゴルさんは村人2人がロシア兵に射殺されるのを見た。行方不明者は多数、という。
畑が水に浸かったままのイゴルさんは「今年は何も栽培できない。無収入だ。政府に援助を求めるしかないよ」と涙顔で話した。
~終わり~
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カードをこすりまくっての現地取材です。
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