「政府の説明、情報の出し方が分かりにくいというご指摘があった。瓦礫受け入れに際する理解に対して、そのことが障害になっていた。あらためてお詫びを申し上げたい」―昨日、閣議後の記者会見で細野大臣は瓦礫の広域処理について環境省の情報の出し方が不十分だったとして謝罪した。一見、神妙な面持ちだった。
環境省は25日から広域瓦礫処理のホームページを一新した。細野大臣自らのビデオメッセージを載せ、手に入るすべてのデータを開示する。情報を分かりやすくかつオープンにしていくというのだが…
現在までに瓦礫の受け入れを行ったのは、東北以外では東京都と静岡県島田市。試験焼却は北九州市と静岡市だ。23日、北九州市では、住民への説明が全く行われないまま、強引に焼却が始まった。説明会のお知らせも、新聞の折り込みチラシの中にさらに折り込まれていた有様だった。
「北九州市では瓦礫を運び終わったトラックの近くで空間線量が上昇する現象が起きている。それをどのように考えるか?」筆者(諏訪)は現地で見た事を細野大臣に質問した。
「安全性については確認している。そういった事実はない」。細野大臣は完全否定した。しかし実際に数値が上がる様子を撮影したビデオがインターネット上で公開されているのだ。
お構いなしに大臣は続けた。「そういったことは、やはり被災者を傷つける。私は大臣室に南三陸町の瓦礫を置いて、日々職務をしている。しばしば石巻に行くが、子供たちが瓦礫でトロフィーを作っている」。
3月末、瓦礫の受け入れ行脚で訪れた京都駅頭で、「これが汚いものにみえますか?」とトロフィーを高々と掲げていた細野大臣の姿を思い出す。
「被災地に想いを寄せて、広域瓦礫処理をしなければいけないんです」。記者会見で細野大臣は被災地を訪れたことを再三繰り返した。
“被災地の人々を助けるためにあるのが、広域瓦礫処理なんだ。それが「絆」なんだ。君たちはどうしてそれが分からないんだ” 言葉にこそ出さないが、細野大臣の発散するオーラが押し付けがましく語っていた。
細野氏は美談をことのほか好む。問題の本質をすり替えるのに美談はうってつけだ。
福島第一原発の事故収束宣言の記者会見(昨年12月20日、日本外国特派員協会)が印象的だった。「冷温停止状態まで達成できたのは作業員の努力」として、「29歳の若い作業員が……」と個人のストーリーまで持ち出し、お涙ちょうだいの浪花節を披露したのである。
ところが細野氏のおハコである『がれき講談』は、矛盾を抱えている。受け入れ反対派には、被ばくを逃れて東日本から西日本に避難してきた人々が数多くいるのだ。被災者受け入れのボランティアもいる。
彼らが掲げるプラカードには決まって、「西日本を避難の場所に」「がれき受け入れではなく、避難受け入れを」とする主旨の文言が見られる。
京都駅頭で瓦礫受け入れ反対を訴えていた男性(30代)の言葉が忘れられない。「被災者を本当に助けたい。自分は震災後現地でボランティアもしていた。でも、放射能を含む瓦礫を日本中で焼却するのはやっぱり違う」。
大臣は最後にこう答えた。「石巻で一生懸命頑張っている方がたくさんいる。そういう(瓦礫受け入れ反対)対立をなんとか乗り越える方法を見つける必要がある」
対立を生み出しているのは政府ではないか。国民は震災後に変更された「埋め立て用焼却灰8,000ベクレル/kg未満なら安全」という政府の基準を信頼していない。
にもかかわらず「広域瓦礫処理を受け入れないのは被災者に背を向けている」と言わんばかりに、科学的説明よりも、情に訴える細野大臣。
女性は情にもろく感情的だから冷静な政治判断が出来ない、と言われる。だが、情を強調し過ぎる細野氏の姿は、女性である筆者にも特異に見えて仕方がないのだ。
《文・諏訪京》
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