「こんなに貧乏するんだったら死んだ方がマシよ」。田中は女房に泣かれたことがある。貧乏は悲惨だ。
知人の非正規労働者(店員20代)は、手取りが十数万円。当然、貯金はない。生活は綱渡りだ。家賃の催促に怯えながら暮らす。払えない月もある。ない袖は振れないからだ。知人の手首にはリストカットの跡がある。
「あした起きても苦しい生活が待ってるだけ。このまま死んだ方が楽になるなあ」。寝る前にこう考えるワーキングプアがいるのだそうだ。
「生活が苦しいのはあなたたちの自己責任じゃない。政治の構造に問題がある」。こう訴えて貧困層に手を差し延べたのが山本太郎だった。
骨をきしませながら働いても月給が20万円未満のワーキングプアは2,100万人(※)。これに低年金生活者、生活保護利用者などが加わる。
貧困層は3千万人を超える。7人に1人だとか、6人に1人などという生易しいものではない。
山本太郎がムーブメントになったことを受け、全国紙記者は会見で「れいわ」を日本新党に準(なぞら)えた。
1993年、日本新党は参院議員4人で衆院選に打って出、躍進。党首の細川護熙は首相となった。政権を獲ったのである。
「れいわ」を1年足らずの短命に終わった細川政権に例えた全国紙記者。彼の顔を山本太郎の街宣現場で見たことがない。
「このままだと子どもの未来がないので太郎さんに国を変えてほしい」「奨学金をチャラにしてほしい」「野党には経済政策がない」・・・
母親、学生、非正規労働者の悲痛な叫びを田中は全国各地の街宣現場で聞いた。目に涙を浮かべながら山本太郎の演説に耳を傾けていた人々の顔が忘れられない。
当時、田中は日本新党の街宣現場を取材したが、聴衆にさしたる熱気はなかった。祈るような目の聴衆は一人もいなかった。
「れいわ」と日本新党では、政治に求める人々の切実さが天と地ほどに違う。
今の熱を維持できれば、政権奪取も夢ではない。
熱を維持できるか、山本太郎に尋ねたところ、こう答えた―
「このままの政治が続くだろうから、(人々の)生活はさらに苦しくなる (れいわ支援の)熱はもっと高まるでしょうね」と。
山本太郎が総理になった時、貧乏人が死なずに済む政治が始まる。
(※)
非正規労働者は2,100万人(総務省2018年調べ)。彼らの平均年収は178万円(国税庁2016年調べ)だ。月収にして15万円未満である。
~終わり~
山本太郎を国会に送り返さなければなりません―
風雲児の捲土重来を、田中龍作ジャーナルは伝えてゆきます。
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