昨年末、米軍ヘリの部品が園舎に落下した宜野湾市の緑ヶ丘保育園の園長と母親たちが、きょう、沖縄県政記者クラブで会見を開き、眉をひそめたくなるような事実を明らかにした。
二言目には「普天間米軍飛行場の危険性の除去」を唱える佐喜眞あつし候補予定者(自公維推薦)が、宜野湾市長当時、母親たちに会おうとしなかったというのだ。
佐喜眞氏は11日に行われた玉城デニー候補予定者(オール沖縄)との討論会で、泣き出しそうな顔をしながら―
「私は、市民の苦しい立場を知っている。もういい加減にこの普天間飛行場を返還してくれと、苦痛にも似た悲鳴、わらをもすがるような思いを持っている市民のために、あの周辺の方々のためにも、もうこれ以上待てないです」と語った。
緑ヶ丘保育園の神谷武宏園長によれば佐喜眞市長(当時/現沖縄県知事選候補予定者)が保育園を訪れたのは事故当日の昨年12月7日の一日だけ。
今年6月、嘆願書を渡しに市役所に行った時、母親たちは一度、佐喜眞市長に会った。だが米軍ヘリは相も変わらず保育園の上空を飛び続けるため、園長と母親たちは事態の改善を政府に要請してもらうべく、佐喜眞市長への面会を求めた。アポを取り付けて7月19日、宜野湾市役所に足を運んだが、市長からはドタキャンされた。面会したのは副市長となった。
佐喜眞市長の姿勢を反映してか、市役所の対応も冷淡だった。落下事故当日、市長が保育園を訪れた後、市の関係者が現場に顔を見せたのは、8月16日。事故から半年以上も経ってからだった。
8月15日、園長と母親たちが防衛局に要請に行ったのだが、それが翌8月16日の新聞の朝刊で報じられた。その日の午後、基地渉外課の職員が現れたのだった。
保育園の屋根に落下したのは長さ10㎝、直径8㎝の筒状の金属物体。近くの公民館の屋上に設置されているカメラが事故当時のもようを捉えていた。連続写真には米軍のCH64ヘリが写っていた。同じ時刻に保育園の屋根にドスンという衝撃音が響いた。屋根は大きく凹んでおり、衝撃の大きさを物語る。あわや大惨事となるところだった。米軍は軍の備品であることを認めた。
佐喜眞前市長が念仏のように「普天間の危険性の除去を最優先する」と唱えることについて、一歳児を保育園に預ける母親は次のように訝しんだ―
「どういうお気持ちでそういう発言をしているのか? 私たちは(佐喜眞市長から)置き去りにされてきた。助けて頂いた感覚はない」。
~終わり~