原子力賠償紛争審査会は20日、15回目にして初めて自主避難者の声に耳を傾けた。「家のローンも始まったばかり。それでも子供たちを守るために避難した…」。伊達市から札幌市に自主避難した宍戸隆子さん(39才)は、官僚や学識経験者からなる委員の前で意見陳述した。
宍戸さんの夫は福島県の県立高校で教師だった。福島第一原発の爆発事故直後の3月15日に福島の県立高校は合格発表を行った。その日は雨となった。宍戸氏は勤務する学校に『生徒を「放射能の雨」に晒してはいけない。合格発表は止めるように』と要望した。教頭は「県が決定したことだ」と一蹴し、「放射能の雨」が降るなか合格発表は行われた。
学校に居辛くなった宍戸氏が校長に「辞めたい」と申し出ると、校長は「退職願いの書き方を事務長から聞くように」と素っ気なかった。慰留もしなかった。隆子さんは、原発事故によって家も夫の仕事も奪われたのである。
「自主避難者の多くは、お父さんが福島に残ったまま。家族とたまに会って別れる時、一番泣くのはお父さんといわれる。交通費の援助があれば少しは楽になる。二つかまど(二所暮らし)の生活は本当に苦しい…」。隆子さんは時々声を詰まらせながら訴えた。
隆子さんと共に意見陳述したのは、「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」代表の中手聖一さんだ。
「自主避難者は最初、変人扱いだった。政府もマスコミも『大丈夫、ただちに健康に影響はない』と言ってたから。だがネットでチェルノブイリの情報と照らし合わせてみるとおかしいんじゃないかと思うようになった。変人と思われなくなったのは、政府と東電の信用が落ちて行ってから」。
福島市の瀬戸孝則市長は、宍戸さん、中手さんに先立って意見陳述をした。「今度の原子力災害では国に適切な法律がなく、県と市に経験がなかった(中略)交通事故と放射能は違う。時間がかかるほど(被害は)大きくなる(中略)自主避難者は福島県で5万人、福島市で1300人もいる。来年の小学校入学者は去年の半分ほど(中略)正しいアドバイザーがほしい。毎日毎日、放射能の話をするのにも限度がある」。
東電が原発事故を起こし、政府とマスコミが安全デマを流した。政府は補償範囲を狭めたいために適切な処置をとらなかった。宍戸さん、中手さん、瀬戸市長の話から改めて思い知らされる。
中手さんは陳述の最後に声を振り絞るようにして訴えた。「(マスコミ報道で)十分に理解したから避難したのではない。わからないから大事をとって避難したんです。できるだけ(避難した時期で)分けないでほしい。国は可能な限り踏み込んでほしい。そうすれば、我々はどれだけ救われることか」。
紛争審査会の出す助言を東電がすんなり受け入れるとは考えにくい。また、「審査会の助言に従うよう」政府が東電を指導するとは考えにくい。マスコミが東電を批判することはもっと考えにくい。
政府とマスコミが東電に大甘なため、自主避難者は追い詰められた状況にある。紛争審査会が思い切った結論を出さなければ、さらなる悲劇が起きる。