投稿者「tanakaryusaku」のアーカイブ

【キーウ発】首都近郊は露軍戦車の墓場になった

 開戦から41日目、4月7日。  「プラハの春」(1968年)。チェコの民主化をソ連軍戦車のキャタピラーが蹂躙したモノクロームの映像を思い浮かべながら、私は準備をしてきた。  ロシア軍戦車は大統領府を押さえるはずだから、 …
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【キーウ発】神父は自らの手でマスグレーブを掘った

 開戦から40日目、4月6日。  マスグレーブが見つかったとされるキーウ郊外のブチャ。市街地に入る交差点にさしかかった時、同行の地元ジャーナリストが怒鳴るような声で言った。  「ミスタータナカ。ここの写真を撮っておけ」。 …
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【キーウ発】「破壊・殺戮・略奪」 露軍蛮行の跡を行く

 開戦から39日目、4月5日。  ロシアを一方的に悪者扱いしているのではない。見たこと聞いたことを現状に照らし合わせながら、ありのままに書く。  キーウ中心部から西北に75㎞の街ボロデャンカ。ブチャやイルピン同様、ロシア …
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【キーウ発】兵隊が略奪に押し入る国 兵隊がスーパーで食料調達する国

 開戦から37日目、4月3日。  「ロシア兵は家のドアを銃撃で壊して押し入ってきた。『殺すぞ』と私を脅し(カラシニコフを)顔スレスレで4発発射した。そして食料をはじめ家の中の物を全部持っていった」。  2日付の拙稿で、ロ …
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【キーウ発】ロシア兵は男性の顔すれすれにカラシニコフを4度発射した

 開戦から36日目、4月2日。  ここが落ちていたら、キーウ(キエフ)をロシア軍の戦車が我が物顔で走りプーチン大統領は勝利宣言をしていただろう。  首都北西の防衛線を死守せんとするウクライナ軍と、首都を陥れたいロシア軍と …
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【キエフ発】戦時下のポリス 「2分の1秒の判断が命を救う」

 開戦から34日目、3月31日。  「ワシは泥棒を捕まえるために警察官になったんじゃ」。警察署長が駆け出しの田中に語ってくれたのを思い出す。  平和(もちろんいい意味で)な国にあって警察の仕事は署長の言う通りだ。  だが …
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【キエフ発】ロシアは首都攻略を諦めていなかった 「攻撃減らす」の嘘

 開戦から33日目、3月30日。  ロシア国防省は29日、ウクライナとの停戦協議を受けて「キエフへの攻撃を劇的に減らす」と発表した。が、その舌の根も乾かぬうちだった―  キエフ北東の防衛線であるブロバリィにロシア軍陣地か …
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【キエフ発】「焼け跡闇市」と呼ぶにはまだ早い

 開戦から32日目、3月29日。  ロシア軍によると見られる空爆でアパート6棟が全半壊した跡地で、屑鉄を拾い集める男性たちの姿があった。  日本でも戦後、屑鉄商いで得た現金を元手にのし上がった事業家は少なくない。  中間 …
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【キエフ発】ミサイルを迎撃できても地上は破壊される

 開戦から31日目、3月28日。  27日午後11時30分頃、キエフ近郊のベッドタウン、サフィースカヤ・バルシェゴフカ市上空に、ロシア軍が発射したと見られるミサイルが飛来した。  ミサイルはウクライナ軍の防空システムによ …
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【キエフ発】「野戦食堂」1日8,000食、24時間態勢

 開戦から30日目、3月27日。  NATOの武器弾薬・情報提供はともかく。ウクライナ軍善戦の秘密はこんな所にあった―  24時間態勢で1日8,000食を提供する野戦食堂はキエフ市内の一角にあった。150人のボランティア …
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