「私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません」「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」
戦後50年の節目に発表した『村山談話』からほぼ20年が経つ。『談話』はその後も歴代内閣が継承し、日本の政治外交姿勢を示す精神として国際社会に定着している。
ところが第2次安倍内閣の登場で、『村山談話』は危機にさらされつつある。安倍政権は日本を再び戦争ができる国へと導こうとしている。侵略戦争の反省はどこへ行ってしまったのか?――集団的自衛権の行使容認に向けた動きや首相の靖国参拝は、近隣諸国からこう受け止められても仕方がない。
国内に向かっても『談話』を疎かにする傾向がある。首相のオトモダチの下村博文・文科相は、国会答弁で「村山談話は閣議決定を経ていない」と発言したのである。のちに閣議決定を経ていたことがわかり、下村文科相は答弁を訂正するという失態を演じた。
今こそ非戦の精神を守らなければならない。危機感を抱いた市民たちがきょう、トンちゃんこと村山富市元首相を東京に招き講演会を開いた。(主催:村山談話の会)
「20年経ってこれほど騒がれるとは夢にも思ってもみなかった。ごく当然のことを言ったまで」。談話の主は皮肉まじりに切り出した。
「こんなことになった原因は何か?やっぱり安倍総理だ。思いのたけを言ってしまえ、と自衛隊を国防軍にするとか、村山談話を全部継承するつもりはないとか、侵略という定義はない、できれば新しい談話出したいとか、聞くに堪えない。何であんなこと言うのか」。
「かつて(中選挙区制の頃)、『メカケ憲法』などと発言したある大臣は次の日にはクビになった。今は総理自身が言う。それだけ世の中が変わった。私はそのことを恐ろしく思う」。「(日本の政治は)国際的にヒンシュクをかう。そういう状況になっている」。
元首相はフルスロットルで安倍政権のタカ派的姿勢を批判した。齢90とはとても思えない。エネルギッシュだ。滑舌も60歳になったばかりの安倍首相よりしっかりしている。
戦地にこそ赴かなかったものの学徒動員で招集された村山氏は、本土防衛戦の悲惨さを体験している。「戦争の現実を知っている世代が言わなきゃならん」と強調した。
講演会の聴衆に話を聞いた―
中国人留学生(大学院生=日本史専攻・24歳男性)。「村山談話のことは日本に来る前から知っていた。CCTV(中国中央テレビ)でも高く評価していた。中国人としては村山談話をポジティブに受け止めている。村山談話を否定する安倍政権の動きは心配です。日本が再び軍国主義の道を歩むのではないかと。一度侵略されたから心配です」。
戦争を知る83歳の女性(世田谷区在住)。「安倍政権になってから、どうしようもない感じ。戦争のことはよく知っている。あんな思いはもうしたくない。終戦当時、中学2年生だった。食べ物がなく、生物の先生が食べられる野草を教えてくれた。今でも食べるものは絶対捨てられない。残したらもって帰る。切なかった。国と国とが戦争したくて煽っているが、絶対話し合いです」。女性は訴えかけるように話した。
村山富市氏は終戦から10年目の1955年に大分市議会議員に初当選、自衛隊が初めて海外に派兵されたカンボジアPKOの翌々年に総理に就任した。「平和が定着し始めた時代」と「平和が薄れゆく時代」を政治家としてまたいできた。
「あの焼け野原、焼夷弾の雨あられ、どんなことがあっても戦争しちゃいかん…(中略)せっかく平和憲法を作って(戦争は)できないと言って守ってきた。むかしと同じように戦争ができる道を開いていって、同じことを繰り返すことになる。それでいいのか。真剣に考えなければいかん」。
歴史の風雪に耐えた白い眉が平和の尊さを雄弁に語っていた。