年の瀬に渋谷・宮下公園を強制排除された野宿者と支援者たちは、北隣の神宮通公園で共同炊事と宿泊を続けてきたが、きょうが最終日となった。7日間で約2,000食が出、のべ150人がテントで寝起きした。(主催:渋谷越年越冬闘争実行委員会)
渋谷区が警察に要請して宮下公園から野宿者と支援者を追い出したのは12月30日未明だった。野宿者たちはすぐにフトン、テント、調理道具などの家財道具を神宮通公園に移したが、果たして大晦日を無事に越せるのだろうか。心もとない状態でのスタートだった。
筆者は「渋谷区や警察が襲ってきたら私の携帯電話を鳴らしてね。いつでも駆けつけるから」と支援者に伝えていたが、押っ取り刀で出動するような緊急事態は起きなかった。幸いと言えば幸いである。
元警備員、現役建設作業員、元学習塾経営者……さまざまな人がさまざまな事情で路上に弾き出され、公園で越年する。やむにやまれぬ事情で野宿者となった人たちだ。前稿でも述べたが、いつでも誰もが路上に弾き出される可能性を秘めているのである。
「お腹が空いてどうしようもなくなることはない。炊き出しがあったりするので。でも、朝オニギリ一個だけなど、一週間まともに食べられないのは普通」。こう話す元警備員の男性(40代)は、野宿生活が4年半も続く。
普段でも食べ物を口にするのは一苦労だ。年末年始ともなれば、さらに困難になる。共同炊事しやすい、炊き出しを受けやすい場所に集まるのは自衛上当然と言える。
炊事道具、テーブル、テントを置くスペースを確保できる広さのある拠点公園が選ばれるのはそのためだ。宮下公園もその一つだった。渋谷区はそこから野宿者たちを追い出したのである。警察まで使って。
「私たちがやってることは不法占拠ですよ。だからといって行政に人の命を奪う権利はない」と元警備員の男性は話す。淡々とした口調がかえって事態の深刻さを感じさせた。
「越年は終わったが、野宿を生みだす社会の仕組みは解決されていない」。ある支援者は眉をしかめた。
野宿者たちは今晩から、高架下、歩道橋下、元々いた公園などに戻る。
《文・田中龍作 / 諏訪都》