菅首相の地元横浜市は、日本有数のドヤ街寿町を抱える。
ドヤからこぼれた人は野宿者となるのだが、この春まで横浜市役所があった関内周辺に段ボールハウスが並んでいると聞き、現地に足を運んだ。
JR関内駅前の地下通路では約20人の野宿者(ホームレス)が寝起きする。3~4年前から住み着いている人もいれば、4~5日前に流れついた人もいる。
高さ2m余り、幅4m弱、長さ10mほどの通路にびっしりと段ボールハウスが並ぶ。ハウス状にはせずに、段ボールを敷くだけの野宿者もいる。
56歳のAさんは昨年4月まで水道工事の技師だったが、身体を壊して仕事をやめた。高血圧だ。
その後、寿町のドヤで暮らしていたが、生活保護が打ち切られたため、路上に弾き出された。つい4~5日前、地下通路に流れついた。
手配師に頼めば日払いの仕事があるが、高血圧のためはねられる。仕事をしたくても健康上の理由でできないのだ。
頼れるのは生活保護なのだが、役所は「働けるだろ?」と言って、生活保護の支給を渋る。
Aさんは寿町の炊き出しと友人が置いていってくれる100円、500円で食いつなぐ。
「菅総理に要望はないか?」と尋ねると「物価を安くしてほしい。消費税も下げてほしい」と答えた。
「1番、センター、梶谷」。横浜スタジアムの場内アナウンスが耳に飛び込んでくる横浜公園。
Bさん(72歳)は5~6年前からここで暮らしている。工事現場でクレーンを運転していたが、60歳過ぎたら仕事が来なくなった。高い所に昇るクレーン操作は、高齢者には危険だからだ。
安倍首相は在任時「人生100年時代」とぶちあげた。社会保障費を1円でも削りたいためだ。
Bさんは「『70歳になっても働け』って言ったって、どんな仕事があるんだよ?」と吐き捨てた。
「田中角栄の時が一番良かった。仕事は多い方がいい。皆ができる仕事が増えれば景気は良くなるよ」。景気がいい時代も悪い時代も経験しているBさんの話は説得力があった。
菅首相は目指す社会像を「自助→共助→公助」とした。
だが、いくら働く意欲と能力があっても、身体を壊せば、働けなくなる。高齢になれば雇ってくれる所は限られてくる。
「自助」は空念仏でしかないのだ。
「共助」「公助」を唱えるなら、かゆい所に手の届くような労働政策を実行し、幾重ものセーフティーネットを張ることではないだろうか。
~終わり~
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