開戦から42日目、4月8日。
最後までロシア軍が駐留していたウクライナ北部を訪ねた。(あくまでも東部のドンバスとハルキウ、南部のヘルソンを除く)
北部の村に食料や医薬品を届ける支援団体と軍に同行したのである。
キーウ近郊のように建物の破壊はないが、北部の穀倉地帯は無残な姿をさらしていた。
電柱や樹木が水面にニョッキリと顔を出している。奇妙な風景だ。
地元ジャーナリストによれば、ここは小麦畑だったそうだ。ロシア軍が川の堤防を破壊したため川の水が流れ込み、湖のようになったのである。水だけ見れば広大な湖である。
真っ黒に焼けた小麦畑もあった。ロシア軍は水攻め、火攻めの両方でウクライナの農業を破壊しようとしたのだろうか。
橋という橋がロシア軍によって落とされていたため、食料や医薬品を積んだ車は迂回に次ぐ迂回を迫られた。結局、道なき道を走る羽目になった。
カブール陥落(2001年末)直後のアフガンを思い出す。橋が落とされ、オフロードもオンロードもなくなる。戦争は大地の景色をも変えるのだ。
オフロード走行中に今回の戦争を象徴するような光景に出くわした。ウクライナ兵がドローンを操っていたのである。
ドローン自体は民生用だったが、スカイネット、グーグルマップと連動して敵の位置を瞬時に割り出す。味方の砲撃部隊に位置情報を送り、敵方の戦車を攻撃する。
もちろんミサイルを積んだ軍用ドローンも威力を発揮したが、安価な民生用も活躍した。キーウ近郊はこうして露軍戦車の墓場と化したのである。
「おかゆとポテトを少しずつ食べて命をつないだ」
キーウから北に93㎞行ったコブリッツァ村(人口35人)。小さな農村である。
村人の証言によればロシア軍が侵攻して来たのは3月3~4日だ。戦車や装甲車のエンジン音とキャタピラーが道路を噛む音を聞くと、村人たちはすぐに地下に避難した。
1人も殺されずに済んだ。すぐに地下に避難したからだ。奇跡的である。
食料や金目のものは ことごとく 略奪された。
ロシア軍は空き家となった村人たちの家屋を兵営のようにして使った。台所で料理し、寝室で寝たのである。
ニーナさん(女性60代)は「おかゆとポテトを少しずつ食べて命をつないだ」と話す。
支援団体はパン、小麦、パスタ、トイレットパーパー、医薬品などを村人に手渡した。
ロシア軍が撤退したのは、わずか4~5日前のことである。ロシア軍は去って行く際に村のすぐ手前の橋を落とした。
村は奇跡的に破壊を免れたが、生活が元通りになるまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。
~終わり~
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カードをこすりまくっての現地取材です。
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