開戦から43日目、4月9日。
キーウ中心部から西に75㎞のアンドレイフカ村。首都近郊とは程遠い670世帯の農村が惨劇に見舞われた。
ロシア軍が去ってほぼ1週間が経ち、村人が戻って来始めた。あるいは地上に出てくるようになった。
村人の証言によると―
3月初旬、ロシア軍の戦車と装甲車約100台が地響きを立てながら村に入ってきた。村人は戦慄し、地下に隠れるなどした。
ビクトルさんは家の中から見ていた。戦車のうちの何割かは自走砲の「2S19」型だった。
砲塔と砲身がやけに大きくて、モッコリとした不格好な戦車である。映像で御覧になった向きも少なくないはずだ。
2S19戦車の射程は29㎞。アンドレイフカ村から戦略要衝のブチャ・イルピンまでは22~25㎞。
首都攻略を目指すロシア軍は、ブチャ・イルピンを落とさなければならない。アンドレイフカ村はロシア軍の砲撃拠点となったのである。これが惨劇の発端となった。
自らの砲撃拠点をウクライナ軍に知られたくないロシア軍は、携帯電話で通話していた住民を見つけしだい銃殺した。ウクライナ軍に通報させまいとしたのである。
ビクトルさんが家の中から肉眼で見ただけで4人だ。(「 」はビクトルさん談)
「ロシア軍は家屋に押し入り金目の物や食料を略奪した。隣人の牛や鶏を殺して食べた」。
死者十数人。多くは若者だ。行方不明者は47人。「何割かは後ろ手にされ連行されていった」。
現在、警察と軍が一戸一戸訪ねて、死者や生き埋めになった住民がいないかを調べている(この場面の写真撮影は許可されなかった)。
砲撃拠点は軍事機密の宝庫でもある。後ろ手にされ連行されて行った村人は、ロシア軍の機密と共に闇に葬られた可能性が高い。
~終わり~
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カードをこすりまくっての現地取材です。
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