前々回の戦争(08年末~09年初)で、後に国連の調査団が入るほどの虐殺があった。
09年取材記事『ガザで起きたイスラエル軍の戦争犯罪―国連公聴会開く』
ガザ市南部郊外のザイトゥーン地区アルサムーニ集落にイスラエル軍が侵攻。村人97人を大きな家に集めて狙撃し、その後、家をロックしたうえで爆破したのである。29人が殺害された。
(国連人道問題調整事務所=OCHA=の調査によれば、死者30人、家に集められた住民の数は110人となっている。)
射殺された親族が覆いかぶさってくれたため、難を逃れた男性が生き証人だった。男性の名はヘルミ・アルサムーニさん(当時26歳)。
田中は幾度もアルサムーニ集落に足を運び、ヘルミさんの話を、村人たちに当てた。同じ話を幾人もの村人に当てた。最大公約数のところに真実があると思ったからだ。
イスラエル軍スポークスマンのベンヤミン・ラトゥランド大尉は、虐殺発生直後の朝日新聞の取材に対して「指摘されている日時に建物を砲撃した事実はない」として否定していた。
だが田中が生き残った村人の証言と取材で得た事実を突き付けると、「作戦の結果、人道上明白な疑念が数多く出てきた。現在、深層を調べている」と答え、集団虐殺があったことを否定しなかった。
あれから12年が経った。
イスラエルGPO(政府広報局)のツイッターを見て愕然とした。「(ガザへの出入り口となる)エレツ検問所を11日から閉鎖する」と発出しているのである。宛先はDear Journalistsとある。
11日とは、イスラエルがガザ攻撃を開始した翌日だ。
イスラエルでは先月からビジターの記者登録もできなくなっているのだ。記者として認められるのは、イスラエルのコントロールが効くエルサレム駐在員だけとなっている。
イスラエルのガザ爆撃は用意周到だったのだ。15日のメディアビル爆破は、メディアコントロールとしてのトドメだった。
ジャーナリストを現場に入れないようにすれば、虐殺の真相は闇に埋もれる。ガザ戦争の本質でもある虐殺は、史実に残さねばならない。
~終わり~
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