ナゴルノカラバフの東端マルトゥーニ市は国境の街である。市役所から車で5分も走らないうちにアゼルバイジャンとの国境線に着く。
9月27日・日曜日の朝だった。バチック氏(判事補・26歳)は「ドーンドーン」という着弾音で目が覚めた。時刻は午前7時10分。
アゼルバイジャンの攻撃が始まったことを反射的に察知した氏は、戦時動員規則に従い、すぐに市役所に急行した。書類に自分の名前を書いた。パルチザンとして戦うことを登録したのである。この時ちょうど午前8時。
カラシニコフを握ると、市内で最も高い山に登った。高地を制するのは戦術の常道だ。この時午前9時。
目が覚めて戦線に就くまで2時間弱というスピードだ。隣国との間で紛争の絶えない民族のなせる業だろう。
戦線に就いたといってもカラバフ側はわずか15人。アゼルバイジャン側は20倍の300人。
バチック氏はじめパルチザンは、山の急勾配を四苦八苦しながら登ってくるアゼルバイジャン軍を高い場所から狙い撃った。カラシニコフだけでなく大砲の力も借りた。20倍の兵力との攻防が連日続いた。
最終的には高地を制した方に軍配があがった。マルトゥーニがアゼルバイジャンの手に落ちずに済んだことが、何よりの証拠だ。
アゼルバイジャンとアルメニア。先制した方はどちらか? 国際社会の議論となっている。
上述したように状況証拠からしてアゼルバイジャンが先に攻撃したと見た方が合理的だ。
「先制は100%アゼルバイジャンだ」。バチック判事補は裁きを下すように冷静沈着に言った。
~終わり~