終戦の日の靖国神社。朝6時の開門から参拝客が引きも切らない。毎年変わらぬ光景だが、71回目の今年は、いつにもまして靖国神社の存在意義が問われている。
境内を歩くと靖国名物の蝉しぐれに混じって、 冥土に行った戦没者たちの声が聞こえてくるようだった。「俺たちの死は何だったのか?」と。
246万英霊の犠牲によって創られた平和憲法は今、危機に瀕している。憲法改正の発議ができる環境が整ったのである。
「私は立法府の長なんです」・・・中学生以下の教養しか持たない首相は、憲法改正を待たずして日本を戦争ができる国にしてしまった。
憲法が改正されれば、さらに大っぴらに戦争ができるようになるだろう。
参拝者に話を聞いた(インタビューは10日採録) ―
76歳になる男性(都内在住)は父親が軍人だった。
「父は戦争のことを話すのを嫌がっていた。教育がそう(軍国教育)だったように元に戻るのは良くない。自衛隊を軍隊にするのは反対。改憲すること(必要)はない」。男性は言葉を噛みしめるようにして話した。
79歳の女性は沖縄から初めて靖国神社を訪れた。阿鼻叫喚の地獄となった沖縄戦で、看護隊だった母を失った。
「(戦没者は)平和の礎となってほしい。平和に持って行くのが国民の願い」。女性は言葉少なだったが雄弁だった。
2~3年前までは右傾化、右傾化と騒がれていたが、もう死語になったのだろうか。マスコミはリオ五輪とSMAP解散で持ち切りだ。日テレ最後の良心といわれていた「火垂るの墓」も今年は放映されない。
野党議員が靖国を参拝しても当たり前のように受け止められる政治環境になってしまった。
~終わり~