年の瀬も押し詰まった29日夕、NPO法人TENOHASIが東池袋公園で食料配布をした。
食糧配布が始まるのは午後6時からだが、5時半ごろには公園は生活困窮者で一杯になった。
先頭から2番目の女性は午後1時に来た。41歳という。若い。
派遣でピッキングの仕事をしていたが、コロナ禍で解雇された。2020年のことだ。
その後、社会福祉協議会でピッキングの仕事を紹介してもらった。だがパワハラに遭い3か月で辞めた。
その後は姉の家に居候し貯金を取り崩しながらの生活だ。物価高の昨今、1日1食か2食に切り詰めている。「物価高は辛い」と搾りだすように言った。
住まい(姉の家)の北区から東池袋公園まで1時間半かけて歩いて来た。毎週土曜日に食糧配布のある都庁前だと3時間歩く。
庶民は地を這うようにして食事にありついているのに、政治家は裏金を貯め込んで優雅な暮らしを楽しむ。
女性は「政治家はサイテー」と吐き捨てた。
物価高は胃袋を直撃する。腰を痛めて建築の仕事を辞めざるを得なくなった男性(56歳)は、生活保護を利用して日々をしのぐ。
母の教えもあり、かつては1日3食だった。といっても「朝:トースト」「昼:400円弁当」「夜:カップラーメン」だ。
物価高が一段と進んだ2~3ヵ月前からは1日2食に切り替えざるを得なくなった。朝のトーストがなくなったのだ。
この日の食料配布は400食。メニューは弁当、パン、バナナだった。パンは食パンとロールパンなどだ。食パンは208斤しかなかった。
男性が手にしたのは不運にもロールパンだった。男子は食パンを切望したがかなわなかった。配布のボランティアスタッフとの間に緊張が走り、軽い揉みあいになった。
男性は母親の教えを守って1日3食、朝はトーストだった。食パンを手にすればトーストが食べられる。「食パンが欲しかったんだけどなあ」と悔しそうに話した。
男性の痛みが分かる国会議員が何人いるだろうか。
~終わり~
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