クリミア半島駐在のロシア軍は2月24日、開戦するとヘルソンまで一気に侵攻した。ヘルソンを足掛かりに直線距離にして50㎞北西のミコライウを陥れ一気にキーウまで北上する戦略だった。
一方でロシア軍はベラルーシからキーウまで南下し、ウクライナを東西に分断する作戦だったのだ。
ロシア軍にとってミコライウはヘルソンと並ぶ南部の戦略要衝となった。
ロシア軍の戦略は、しかし、ウクライナ軍の激しい抵抗の前に崩れ去った。
ミコライウはロシア軍がヘルソンから撤退する当日の11日まで激しい爆撃に見舞われた。まるで最後っ屁のようだった。
田中は爆撃に遭い11人が死亡したミコライウ南部のアパートを訪ねた。
窓ガラスは粉々に飛び散り、壁面は焼け焦げていた。真っ二つになった棟もあった。これまで嫌というほど見てきた光景である。
市内の親戚の家に避難していて辛くも難を逃れたナデシタさん(1938年生)が、被害の確認に戻っていた。自宅はとても人が住める状態ではなかった。
「第2次世界大戦中もナチスドイツが侵攻してきて恐ろしかったが、今の方がもっと怖い」
「プーチンの軍隊は殺し屋だ。人間ではない。静かな人生を奪われ、電気も水も暖もない」。ナデシタさんは高齢のため声量はないが、強い口調でぶちまけた。
~終わり~