8ヵ月に及ぶロシア軍の占領から解放されたヘルソンは喜びに沸いていた。興奮の坩堝と化した市役所前広場で若き兵士を抱きしめ頭をなでる女性がいた。ナターシャさん(60代)。
「息子さんですか?」。田中はナターシャさんに聞いたが、そうではなかった。二人が顔を合わせるのはこの日が初めてだ。
彼女は声を弾ませながら語った。「兵隊さんたちを待っていたの」と。
ナターシャさんはウクライナ軍を応援するメッセージをSNSに投稿し続けていた。
「ロシア軍に突き止められたら、私は拷問部屋に連れて行かれていた。だから隠れていた。ウクライナ軍が解放してくれた。ロシア軍の略奪は有名だが、自由までは奪えなかった」。彼女は安堵の表情で語るのだった。
市内にあった拷問部屋を、田中は市役所前に行く前に取材していた。ナターシャさんの話には頷かせられた。拷問部屋はかつての拘置所にあった。ウクライナ軍がブービートラップ(地雷の一種)が仕掛けられていないか、確認したばかりだ。
六畳一間ほどの狭くて薄暗い部屋に鉄のテーブルと鉄の椅子が置かれていた。捕虜にしたウクライナ兵や便衣兵であると決めつけた市民をここで締め上げたのだろう。
部屋には斧さえあった。ワグネル社が裏切り者をハンマーで殴り殺す映像が恐怖を呼び覚ましているが、ロシア軍の残虐性を改めて知る思いだった。
近隣の住民オクサナさんは毎日のように拷問部屋から叫び声がするのを聞いた、と証言した。
オクサナさんは「ロシア軍の占領期間中はストレスで一杯だった。隠れていた。貯蔵していたジャガイモを少しずつ食べて飢えをしのいだ」と8ヵ月間を振り返った。
「ヘルソンはウクライナです。私は故郷で死ぬことができる。よその地に避難するようなことはしません」。宣言するかのように誇らしげに語った。
~終わり~