開戦から39日目、4月5日。
ロシアを一方的に悪者扱いしているのではない。見たこと聞いたことを現状に照らし合わせながら、ありのままに書く。
キーウ中心部から西北に75㎞の街ボロデャンカ。ブチャやイルピン同様、ロシア軍が侵攻初期の頃から包囲し攻撃を続けてきた。
解放されたのはつい5日前のことだ。1ヵ月にわたる破壊の跡を歩いた。
アパートをはじめとするビルは原形を留めぬまでに壊されていた。半壊した公共施設の壁にはロシア軍東部軍区を示す「V」がスプレーで吹き付けられていた。
乗用車のボンネット部分だけが、ペシャンコに潰れている。焼け焦げた跡はない。砲撃されたのでないことは確かだ。戦車のキャタピラーの跡が乗用車に接合するようにしてあった。戦車に潰されたのだ。
街の他の場所にも同様に潰された乗用車があった。ロシア軍は破壊を楽しんだ風さえある。
住民に話を聞いた。ロシア軍が略奪と殺戮を繰り広げたことを異口同音に語った。
ヴィラさん(写真)は涙を拭いながら次のように話した。
「ロシア軍が家に押し入ってきてすべての部屋を物色し、食べ物や金目の物を奪っていった。
「飼っていた鶏をしめ殺して持っていった。病死した夫の埋葬に立ち合った神父がロシア兵に連れ去られ、行方不明となっている」。
ミハイロさんもヴィラさんと同じようなことを話した。
「ロシア軍はドアを壊して押し入ってきた。アパートのすべての部屋に行き、食べ物や金目の物を持って行った」。
ミハイロさんは、写真を撮らないことが話を聞く条件だった。「顔が割れたらロシア軍が戻って来た時に殺される」というのだ。
住民の誰に聞いても「散乱した遺体は我々と地元政府で片付けた」と当たり前のように言った。
上記のミハイロさんが教えてくれた場所に行くと墓があった。ミハイロさんは「ロシア兵が市民を殺して埋めたんだ」と説明した。
一戸建ての家の中庭にロシア兵が宴を張った跡があった。料理鍋、漬物、ワインがテーブルの上に置かれたままだ。家人を追い出すか殺害した後、食事と酒を楽しんだのだろう。
ロシア兵はヴィラさん宅から電動ノコギリを奪っていった。ミハイロさんは「ボロデャンカの隣街では民家からショベルが強奪された」と証言した。
電動ノコギリは家の戸を壊す際に、ショベルは遺体を埋める際に便利だ。実際、ボロデャンカでは役に立ったようだ。
~終わり~
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カードをこすりまくっての現地取材です。
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