国際世論は民主化運動のシンボルであるスーチー国家顧問を拘束したミャンマーの軍部に批判的だ。もちろん田中とて、民主政治を武力で弾圧することは、許されるべきではないという考えだ。
だが世界にはスーチーさんの拘束を喜ぶ人々が少なくとも数十万人いる。
ロヒンギャの人々である。ミャンマー国軍により村を焼き払われ、娘をレイプされ、生きたままの赤ん坊を炎の中に投げ込まれるなどした。
彼らは大量難民となって隣国のバングラデシュに逃れた。難民流出は2016年に始まり、国軍のロヒンギャ掃討作戦が始まった2017年にピークとなった。その数74万2千人(UNHCR=国連難民高等弁務官事務所まとめ)
バングラデシュの難民キャンプで田中がスーチーさんのことを聞くと、ロヒンギャの人々は、一様に険しい顔になり口を極めた。「スーチー・ノー」「スーチーは地獄に堕ちろ」という趣旨のフレーズを吐き捨てるように言った。
ノーベル平和賞を受賞したはずのスーチーさんは国軍の蛮行を認めなかったのだ。
「国軍とARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍=イスラム武装勢力)の衝突でARSA側に10人の死者が出た」としたのである。
AFPはスーチーさん拘束に関するロヒンギャ難民のコメントを次のように伝えた―
クトゥパロン難民キャンプのリーダーは、「私たちのすべての苦しみの原因は彼女だ。祝わない理由がない」。
また、近隣難民キャンプのリーダーは「彼女が最後の希望だったのに、ロヒンギャに対するジェノサイドを支持した」と語ったという。
田中が難民キャンプを訪れた時、難民たちは異口同音に「ミャンマーに強制送還されるくらいだったら死んだ方がマシだ」と言った。
だがミャンマー政府は難民問題を頬被りしたかった。
スーチー国家顧問はNikkei Asian Reviewのインタビューに「難民問題で投資が減速する」とまで答えている。
企業進出のため軍事政権を支えてきたのは日本政府だった。
時の外相はミャンマーを訪問し、難民帰還のため300万ドル(約3億3千万円)を支援する約束をした。外相とは、次期総理候補と目されている河野太郎氏だ。
河野外相はミャンマー政府が建設を進める帰還難民の収容施設を訪問したりした。難民帰還を促したのである。
河野訪問を機に早期の難民帰還説が飛び出たりした。
当時の国際世論は「ロヒンギャを強制送還させてはならない」だったにもかかわらず、だ。
日本政府の後押しによって、ミャンマーの軍事政権は権勢を維持し続けてきた。そして今回のクーデターとなったのである。
~終わり~
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