好評につき入手困難となっていた大袈裟太郎の写真集『Moment of the Water・Hong Kong 2019』がやっと手元に届いた。
日本のジャーナリストとして最も足しげく香港に通い詰めたのが大袈裟だった。
6月、大袈裟は「反送中・抵抗運動」が始まると真っ先に現地に飛んで行った。
送中とは中国政府にとって不都合な人物を大陸に送ることを可能にする条例のことだ。香港を香港たらしめてきた思想信条の自由が奪われるのだ。香港人たちは懸命に抵抗した。
運動は反送中から反中国へと進化していく。大袈裟のカメラは運動が激化、先鋭化していく様子を活写する。写真集のページをめくって行くとボルテージの上昇が手に取るように分かる。
6月頃、デモはまだ のどか だった。だが7月21日、マフィアと警察と親中派の結託を改めて白日の下にさらした事件(元朗駅事件)が起きると、若者の抵抗は激しさを増すようになった。警察は大量逮捕で封じ込めようとした。
10月になると、デモ参加者は警察に向かって「我らに自由を与えよ、しからずんば死を」とまで叫ぶようになった。バリケードには「玉砕」の文字が出現した。
11月下旬、警察の弾圧は極限まで高まった。学生が拠点としていた理工大学を包囲、催涙弾を雨あられのごとく撃ち込んだのである。1,100人逮捕(BBCまとめ)。
警察はジャーナリストにまで退去を迫った。「出て行かねば逮捕する」と脅して。
広東語の警告が分からなかったこともあり、大袈裟は残るハメに・・・
大袈裟が日本人であることを知った学生が詰め寄ってきた―
「頼む、日本領事館に電話してほしい。君(大袈裟)がここにいるということが伝われば、僕らも殺されなくて済むかもしれない。もうメディアは撤退した。メディアが撤退したということは警察が僕らを殺すということだ」。
大袈裟は「ジャーナリズムと自分の命を天秤にかけることになった」と当時を振り返る。
最終的に大袈裟は外に出ることになったが、極限までジャーリストの仕事を果たした。死んでしまえば、理工大学の中で起きていたことを、リポートできなくなるのだから。
機動隊にメッタ打ちにされる少年少女の叫び声。気管支を刺し目に猛烈な痛みを走らせる催涙弾の炸裂音・・・写真集は読者を香港のデモ現場に誘ってくれるはずだ。(敬称略)
大袈裟太郎「香港写真集」を購入するには下記URLからお入りください。
https://wob.theshop.jp/items/27094744
~終わり~