70回目の終戦の日を迎えた靖国神社は、あの日と同じように強い陽ざしが照りつけ、境内を蝉しぐれが包んだ。
「俺たちの死は何だったのか?」246万柱の英霊が地底から呻き声をあげているようでならなかった。
先の戦争の反省に立つ憲法第9条が、オツムの弱い首相の解釈で勝手に変えられようとしているからだ。英霊たちは安んじて眠れたものではない。
戦争への戒めが風化する一方で、遺族の高齢化は進む。終戦時(1945年)にゼロ歳だった人でさえ70歳だ。
戦地に赴いた元兵士、兄や父を戦争で失った遺族を、靖国の境内で探し出すのは年々難しくなっている。
両手に杖を持ち家族に支えられながら参集殿に向かっているのは、元陸軍大尉という96歳の男性だ。
男性は激戦地ビルマで大勢の部下を失った。「部下への感謝と慰霊に(靖国には)毎年来ている」と話す。問わず語りで、こちらの質問に対して明瞭な答えは返ってこない。
千葉県から足を運んだという86歳の男性はすっかり腰が曲がっている。戦時中は山形に疎開していた。
きょうは16歳で志願した同級生を弔いに来た。
「友人は戦地に赴く前に(自分の疎開先の山形まで)会いに来てくれたが、中国で戦死した」。参拝を終えると、金色の菊が飾られた神門に深々とお辞儀をして靖国を後にした。
天皇陛下は靖国神社と隣り合う日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式で「さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い・・・」と述べられた。
宮内庁によれば、“さきの大戦に対する深い反省”という陛下のお言葉は、戦没者追悼式では「今まで使ったことがない」という。
天皇陛下は新年のお言葉でも「満州事変に始まる戦争の歴史に学び、今後の日本の在り方を考えていくことが今きわめて大切」と述べられていた。
年頭、そして8月15日、陛下は戦争に前のめりになるアベシンゾーに苦言を呈したのである。
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