原子力村の総本山に匕首(あいくち)が突き付けられて、きょうで丸3年が経った。
経産省の北西角地に立つ、3張の小さなテントは「原発は要らない」と願う人々の拠り所となってきた。
「故郷を追われてもここ(テント)に来れば、友に再会できる」。原発事故で避難している福島出身の女性が語っていた。
全国各地の反原発運動のシンボルとなっていることは言うまでもない。経産省前のテントから全国の「再稼働反対デモ・集会」に“出撃”する。これも当たり前の光景になっている。
エセ右翼や街宣右翼がテントを襲撃したこともあった。2012年1月には経産省が期限を区切り退去を迫った。期限最終日には警察が出動したが、市民数千人が集結しテントを守った。
自民党政権となってからは「立ち退き」を求める民事訴訟を起こされている。現在、法廷闘争の さなか だ。
反原発運動のシンボルであるテントは、闘いまみれだ。「経産省前テントひろば」代表の渕上太郎氏に、「テントを維持するのに何が一番苦労するか?」と尋ねた。
60年安保の時代から権力と闘い続ける渕上氏から返ってきた答えは「水回り」だった。
テントは24時間体制で守り抜いているため「泊り番」がある。冬の寒い夜などは、どうしてもトイレが近くなる。虎ノ門のコンビニでトイレを借りるのだが、凍てつく冬の夜道をトボトボ歩かねばならない。
「テントはもともと脱原発、再稼働反対で建てた。政府が原発を止めるというのであれば、我々はいつでも立ち退く。ところが安倍政権はその逆だ。自ら撤去することは絶対ない」。渕上氏は闘争心を燃やす。
60年安保で岸信介首相は成立と引き換えに退陣に追い込まれた。国会突入を傍らで見ていた渕上氏が孫の安倍首相をどこまで追い込むか。
万が一にも安倍政権が力づくでテントを潰すようなことがあれば、相当の返り血を浴びるだろう。