ブラック企業体験記 ~地獄の入口編~ 「笑顔があれば残業代はいらない」

和子は地獄に案内されているとは知らず、ワクワクドキドキ。=さし絵・武藤凪= 

和子は地獄に案内されているとは知らず、ワクワクドキドキ。=さし絵・武藤凪= 

 福岡の大学を卒業した森和子(仮名・当時22歳)は、新卒で東京のビルメンテナンス会社に入社した。4年前のことだ。

 社会人になった喜びをかみしめ、意気揚揚だった。しかし働き始めると気分は一転した。連日、終電間際まで帰ることができず、毎週のように休日出勤が続いた。体はフラフラで栄養ドリンクが手放せなかった。

 精神的に一番辛かったのは、上司からのパワハラだ。「笑顔があれば残業代は要らないだろ」「お前は人間以下だ」・・・こんな言葉を連日投げつけられた和子はストレスと過労で体調を崩し、わずか半年で退職した。残業代は出ずじまいだった。ザッと計算すると20万円位になる。

 その後は、家に引きこもりオンラインゲームで気をまぎらす毎日だった。就活しなければと分かっているのだが、行動に移せなかった。自己嫌悪に陥り悶々とする日々が続いた。

 それから4ヵ月後、和子は意を決してハローワークへ。窓口の相談員に事情を話すと、「これ以上空白期間が長くなると不利になりますよ」と急かされ不安になってしまった。早く応募しなくては。

   人材紹介会社「無給研修で一ヵ月越えたら正社員になれる」

 会社探しを始めたが、わずか半年で退職したのでスキルも何もない。「いったい何が自分にとって適職なのか」が分からない。応募しなければ始まらないのに、迷ってばかりの自分に嫌気がさしていた。インターネットで民間の人材紹介会社を見つけたのは、ちょうどその頃だった。

 「若者の正社員採用」が売り文句の人材紹介会社で、正社員の求人を紹介するという。ホームページには「正社員になりたい方へ」「第2新卒のあなたへ」などと希望を抱かせる言葉が躍る。

 和子は懐疑的だったが、ホームページの「貴方のお話をじっくり聞きます」を信じ、説明会に行った。出て来たのは女優の小西真奈美似の女性だった。

 キャッチフレーズ通りじっくり話を聞いてもらえたので信用し、求人を紹介してもらうことにした。

 紹介されたのはIT企業だった。ITの技術もないし大丈夫だろうか?

 だが、“小西真奈美”は、和子の心情を見透かすかのように、にっこりとほほ笑んだ。「大丈夫ですよ、この会社はITの知識がなくても一から技術を教えてくれますし、社長は社員の事を第一に考えるとっても温かい方です」

 彼女は続けた。「入社の前に1か月IT技術の研修を受けてもらいます。本来、専門学校で学ぶと50万円ぐらいかかってしまうものを無料で受講できます」と。

 …ん?和子は一瞬戸惑った。
 「一ヵ月間、給料は出ないということですか?」と尋ねた。

 「給料は出ません、交通費のみ支給されます。一ヵ月乗り越えたら正社員になれます」、“小西真奈美”はさも当然であるかのように言い放った。

 なぜ、お給料が出ない?もしかしてブラック企業では?という気持ちが湧きあがる。真っ白な机の上に、黒い不安がジワリと広がるような気がした。

 だが彼女は続けた。「入社した皆さんはここからスタートです。頑張ればすぐお給料に反映されますよ。この企業は厚生労働省の若者応援企業の認定を受けています。森さんは1社目で辛い体験をしてしまったけれど、ここなら安心して働ける企業ですよ」。

 若者応援企業…国のお墨付きがあるなら、大丈夫だろう。和子の心の中からいつのまにか不安は消えていた。

 「この企業を受けることにします」と伝えると、すぐに面接の日程が決まった。指定された時刻は午後7時。ひきこもっていた時は夕方から夜になるのが嫌でしょうがなかった。その日一日何もせずダラダラ過ごした自分が許せなくなるからだ。しかし、今日は違う。久しぶりの面接で、緊張半分・期待半分で会社へ向かった。

 事務を担当する和田と、執行役の山下による面接が始まった。自己紹介、志望動機、自己PR。今まで受けた面接と同じような流れだ。

 しかし今までの面接と明らかに違うのは、場所が喫茶店だったことだ。ワイワイガヤガヤ…客の談笑がBGMとなり、いくらかリラックスして面接を終えることができた。

 それから3日後に社長面接があった。やはり面接場所は喫茶店。志望動機や自己PRもなく、ただただ社長の話を聞き、頷いていただけだった。それが2時間ほど続いた後、社長が一言「来月からこの会社に来なさい」。

 嬉しいやら拍子抜けしたやらで、しばし呆然とした。が、とにかく正社員への道が開けたのである。親や世間の目もこれで厳しくなくなるだろう。

 また社会に復帰できるという喜びを感じた和子だったが・・・

                
 《文・武藤凪》

 

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